はじめまして

躁鬱病の治療を始めて、今年で4年目になります。

完治の無い病気だそうで、せめて寛解に至れば重畳とか。

治療を始めてから知ったことですが、私は仮面ウツ病の状態で、かなり長期間過ごしていたようで、最初はクリニックで治療を受けていましたが、医師の勧めで入院施設もある大きな病院に転院しました。
それが2年前のこと・・・。

直接の原因は、離婚と勤め先の倒産ですが、AC(アダルト・チルドレン)の要因も指摘され、そうか私は病気だったのだな、と冷静に状況を受け入れてきました。

精神病のイメージというと、映画等でよくある妄想や虚言の類を垂れ流し、白い部屋に監禁される姿を思い浮かべる人も多いでしょう。
実際、映画マニアの私もそう思っていました。

しかし、現実の容態は、精神的に不安定であり、自傷行為を伴う危険性のある精神疾患の一種であり、投薬で安定化を図りながら、徐々に社会復帰を目指すというものでした。

統合失調症(旧名:精神分裂症)や境界性人格障害の方とも接しましたが、私の躁鬱病(感情障害)と大きな差は無く、日本での精神病関連の遅れや分類には問題があることも知りました。
患者の数だけ病名があるのでは無いか?と思うぐらい、個人差が激しく複雑な病気なのです。

最近になって、日本での年間自殺者の数が10年以上3万人を越え続け、今なお減少の傾向に無いことから、政府主導で自殺防止に対する動きも始まりました。
それだけ生き難い社会になった、ということでしょう。

私は、昔から頑固な面があり、他人に対しては寛容でありながら、自分の主義や考え方、予定等を乱されるのが苦手でした。
そう、本当の意味では、優しい人間では無くて、単に他人の主義主張に自分が乱されるのが堪らなく不愉快なだけだったのです。

当然のように他人と距離を取り、恋愛関係を持った女性や妻に対しても、こうあるべき自分を態度で示すことで、例えば相手が浮気や不倫をしたとしても、それは彼女の貞操観念の問題だ、と何処か他人事のように沙汰を下せる愛情の無い人間でした。
実際、妻の浮気を知った私は、相手の素性や妻の行動などを調べ、彼女を言い逃れの出来ない状態にしてから、本人の答えを聞いたぐらいです。
嘘の部分があれば証拠を出し、食い違う部分は追求しました。
そして、淡々と離婚書類を差し出し、子供の養育も含めて手続きを終えました。

会社が倒産する時も、何年も収入や待遇の面で悲惨な状況になりながらも、社長という男が自分から退社してくれ、というまで働き続けました。
意地があったのです。

結果として、妻子と離れ、職を失った私は、全てに見切りを付けて自分の人生を終わらせようとしました。
でも、死に損なうという予定外の事態に直面してしまいます。
思っている以上に私の体は健康で、そして本能の部分では悲しいくらい生きたがっていたのです・・・。

初めて自分の本性と直面し、揺れ動く弱さを知り、子供のように愛されたいと願いました。
死と生、揺れ動く思考の中で、未だに進路が決まらない。
人生は、一口で語れないほどにヒダがあり、間違いも答えも星の数ほどあったのです。

このブログを読む方がいたとして、一つだけ約束できるならば、私は本音だけを書いていきたい。

備忘録の意味もありますので、関心の無い方は去ったほうが時間の無駄になりません。

貴方の貴重な時間は、貴方の為に使って下さい。