最初は勢いがあるもの

何事につけ、始めた時というのは、必要以上にテンションが上がるというか、頑張りすぎてしまうものです。

例に出せば、入社した手の新人が、最初の数ヶ月は張り切るものの、急に意欲を失い覇気が無くなる。
最悪の場合、短期間での評価に不満を持ち、自分の適職はここじゃない、と辞職してしまう人もいます。

投薬治療も似たような物で、最初は規則正しく服用し、薬の効果に敏感に反応します。
早く治したい、という気持ちが通院回数にも現れ、医師との会話にも期待するものです。
ところが、思ったように楽になれない、この病院(医師)は自分に合っていないのではないか、とドクターショッピングを始めてしまうのです。

私の場合は、通院初日から雑記帳を付けています。
最初の2ヶ月は、それはもう一日数ページの勢いで、自分の心境の変化や医師との会話、薬について書き綴ってあります。
ところが、今の7冊目のメモ帳には、起床時間、投薬時間、食事の有無、就寝時間、出費、が並んでいるだけです。
それでも、一日も欠かさずに続いているのは、書くこと自体を無駄と思わず、出来る範囲で記しているからです。

自分の気分で医者を変えたことはありませんし、投薬の指示を違えたこともありません。
確かに焦りや苛立ちはありましたが、医師の指示に従う事が、一番の解決策だと決めているからです。

私の症状の特徴として、無気力、寂寥感、外出拒否が上げられます。
幼い時から複雑な環境で育ったせいで、自分さえ納得できれば、周囲の在り方は別にどうでもいい、と感じます。
自分のために最善と思われる環境作り、これが気分的に楽な闘病生活を送る秘訣だと信じています。

簡単に言うと、無気力なら何もしない、寂しいなら寝てしまう、外出できないなら食料は生協で、買い物は通販で済ます、といった具合です。
通院回数が苦痛なら変更し、心の変調があれば薬を改善してもらう、ただそれだけのことですから医師が誰であろうと、それは重要な問題では無いと思っています。

社交的な自分を演じる必要が無くなった時に、私は自分の環境と病気に向き合う必要に迫られました。
試行錯誤の末に、今の環境を作ったわけです。


人間には、3つの姿がある、と読みました。
1.なりたい自分
2.演じなければならない自分
3.本能的な自分

1は、永遠に叶わない理想の姿です。
2は、家庭や職場、友達付き合いにおいて、他者に受容されている姿、最も日常的な自分です。
3は、知るのも恐ろしい剥き出しの自己です。有難い事に人間は自分の全ての欲望を知ることは出来ません。常識や法に縛られない人間であっても、まだその奥には深く眠る狂気にも似た欲があるものです。

今の私は、昔のように惚れられる必要も、頼られる必要もありませんので、ひたすらに自分とだけ暮らしています。
デザインと機能性を兼ね備えた部屋、誰とも話し合わない生活方針、励むのも怠惰になるのも、全て自分だけで管理する。

分かち合う相手や想い出を語り合う相手が存在しない人生。

どうです?人に寄っては無駄とも思える生じゃないですか。
それで生きている実感が得られるのか、孤独で寂しくないか、これからもそうやって月日を重ねるのか・・・。

正直に言うと、不安は常にあります。
しかし、これが私の選んだ誰にも迷惑を掛けずに、自分らしく病と闘える戦場なのです。
戦場に勝利と言えるものがあるとしたら、生き残る事だけなのですから。