日本の価値

実は、この国の価値を一番理解していないのは、現代の日本人だと言われたことがある。

日本の社会制度は、敗戦後にGHQが定めた民主主義が基になっているが、これはステイツが侵攻した国家の中で唯一の成功例として記載されている。
世界のリーダーとして正義を行使してきたステイツだが、その真偽は別として、また長期間の駐留が不可能だとしても、直ぐにその国は元の状態に戻ってしまうのが普通だ。

日本は、原爆を2つも投下され、20数万人という人類の歴史上でも例のない数の民間人の命が奪われた。
その後の無条件降伏で、ステイツの徹底した戦後処理と復興に向けての様々な影響を受けながらも、日本人は急速に国を立て直していく。
早期の復興は、ステイツに対して国家の主権を主張する意味でも大事なことであったが、それ以上に勤勉で節度ある国民性は、周囲の予測を遥かに超える速度で進展した。
米政府は、日本の復興が早すぎることに危機感を覚え、基地の駐留費や対外貿易で抑圧さえしようとしたが、官民一体となった勢いは留まらず、世界有数の経済国家として成長した。
しかも、過去の恨みを振り払い、ステイツの一番の友好国として認められることになる。

非核三原則専守防衛、この2つをみても、日本は世界の中で特異な存在であり、どこの国も到達していない理念を掲げている。
歴史上、唯一の被爆国である日本だからこそ、非核三原則を挙げる資格があり、表面的には最も平和に近づいた国家であると誇ってもいい。

社会福祉制度や保険制度も、小額で医療や保障が受けられるのは当然だと思っているかもしれないが、このような手厚い制度は、先進国でもマレである。
国費で最低限の生活の保障までしてくれる国家となると、もう日本しか考えられない。

ステイツの友人が、素晴らしい理念と豊かな福祉を、弱肉強食の自由主義社会で行なえているのは日本だけだよ、と笑って言った。

台湾の友人は、仮に専守防衛を行使するとしても、日本が侵略戦争に見舞われたら、応援に駆けつける国は多いよ、日本人が思っている以上に日本には借りがあるし、何より守る価値がある国だと思っている人が多い、と。

私の人生の狭い人間関係だけで判断することは出来ないが、日本を愛してくれる人、目標にしてくれる国、応援している人々は、決して少なくは無いのだ、と信じている。

日本人は国を愛している、とは言わない。
自国の利権や国益を大声で主張しない。
日本人同士の生活レベルを比べあって、貧乏だとか満たされない、と嘆く。

この国は素晴らしい理念を掲げているし、競争に負けたからといって飢えて死ぬ人は極僅かな、豊かな社会だ。


ところが、経済的に成長してきた日本も、いつまでも上り調子な分けはなく、バブル崩壊後の混乱を経て、景気は未だに回復していない。
そして、東日本大震災の影響で、また被爆という悲劇を経験してしまった。
非核三原則を遵守するのなら、日本に原子力発電所は無用だったはずなのだ。
推進派に騙されてはいけない、原子力発電抜きでも、日本の電力は賄えるという試算は今も昔も存在する。
拝金主義と核家族化の蔓延は、少子高齢(化ではない)社会という問題も抱えている。
人口が減少する中で、年間の自殺者数は10年以上もの間、年間3万人を越え続けている。
社会を繋ぐ子供たちが生まれて来ない国、働き盛りが自殺する国に、未来があるのか、と不安にもなる。

それでも、日本は世界的にみて、平和であり、豊かであり、自由なのだ。
その中の一つさえ得られない大半の国からみれば、日本人の嘆きなどいい気なものだ、と睨まれるだろう。

この国の人間として、何に感謝し、何を誇るのか、少し落ち着いて考えてみるのも大事な時間だと思う。