趣味人で短気で自由奔放

今週のお題「父との思い出」
前にも書きましたが、私の父は昭和の奇人です。
思いついたら即行動するタイプで、服・車・ゴルフ・食に関して、思い切り趣味を貫く人でした。

こういうのは、端から見ていると面白いんですが、身内、特に息子としては、かなりやっかいな人種です。
不思議と私には暴力を振るいませんでしたが、母や弟は今で言うDVのような環境でした。
ただ、昭和の頃は父親が手を上げるのも珍しくもなく、とりたてて騒ぎもしませんでしたけど。

父は、若い頃に国際A級ライセンスを取得し、某メーカーのテストドライバーをしていた頃に、大きな事故を起こして、内蔵の多くを切除されました。
そのせいか、酒は一滴も受け付けない体質で、甘いものを幾ら食べても太らず、トイレには苦労していた記憶があります。

唐突に動くので、たまに家に帰ってきたかと思うと、そのまま旅行や仕事先に連れて行かれ、息子の学校なんて眼中に無いという破天荒ぶり。
いつも、私だけが引っ張られるのですが、御蔭で色んな場所や物を見ることができ、いい年をしたおっさんの殴り合いも見れました。
とにかく短気で、少しでも筋が違うと、所構わず文句をいい、相手が屈服するまで、言葉や喧嘩で片を付けていました。

家に帰ってくるのは、本当に時々なので、天災のようなものですが、母は常に怯えていて、愛人を3人も囲っていた関係で、嫌がらせ電話もありました。

服は全てオーダーですし、車もスポーツカー、母の食事が気に入らないと、すぐに全員で外食に…、母のプライドなどお構いなしです。

しかし、異常に高いプライドを守るため、コツコツと資格関係の勉強もする面があり、免許証は全て埋まり、船舶・航空機も取得、電気工事士甲種・宅建主任・ボイラー技師・溶接や危険物取扱者甲種etc…、と全く使わないのに専門的な資格を取得するのが趣味でした。

遊びに関しても妥協がなく、プロボウラー、プロハスラー、ゴルフ、将棋、囲碁、麻雀と何でも高レベル。
釣りは、台風が来るとザイルを持って岩場に行くという過酷さで、大物を釣るためなら何処にでも行ってました。

仕事も自分で起業するので、若い頃から死ぬまで、人の下で働いたことは無いと思う。
交通安全協会の名誉会員や議員との付き合いもあり、本当に好き勝手に生きた人です。

正直、離婚した時は、私もホッとしたぐらいです。
極貧には成りましたが、静かに暮らせる喜びの方が、何倍も上だったからです。

不思議なことに、父は再婚はせず、愛人宅を回って過ごしていたそうで、家族は知りませんが、腹違いの弟が居る事を私だけは知ってます。

そして、52歳に病院の受付で記名したまま倒れ、即入院で気管支から肺まで癌が6箇所転移しており、すでに手の施しようがない状態で、2週間後に死んだそうです。

後に、父のサポートというか、相棒をしていた方から、「○○さん、一回意識を取り戻した時に、看護婦と俺に命令して、土下座の姿勢を取らせたんだ…」、生前は絶対に他人に頭を下げる性格では無かったのに、最期を迎えて社会に詫びを入れたかったのか、それとも失った私たち家族になのか…、理由は謎ですが、父なりのケジメだったのかもしれません。


自由に生きるには、財力や能力が不可欠で、私のように隠居で自由を手に入れた気がしているようでは、男として完敗だな、と感じざるを得ない。
普通のお父さんでは無かったけれど、ひたすらに自分を愛していた趣味人の男が父親でも良かったじゃないか、と最近になってようやく好意的に思えるようになりました。