天災と報道規制

北京が、水害で多数の死者を出しているのは、海外ソースでも知られている。
そんな中、急伸した開発事業の不手際から、水害が天候だけでなく党本部の責任だ、と叫ぶ声が膨らんでいる。

排水設備や河川工事が、適切に行われておらず、予想外の水量に麻痺してしまったため、というのが情報筋の見方だ。

中国政府は、このような国民の声に対して、報道規制を発動させている。
要は、押さえ込みに入ったわけだが、昔と違って、今はネットの普及が広がっているので、簡単にはいかない。

浸水し、死の間際まで携帯電話で話していた男性の家族は、中国紙のインタビューに涙を流して国を批判したそうだが、掲載前に発行差し止めを受け、その憤りをネットや海外紙に激白している。

言うまでもなく国の文化レベルより、人口が多い中国では、都市部と僻地で30年近い生活格差が生まれている。
文・軍・民の三権を基本構造とする中国の統治は、賄賂や不正が横行する腐敗をも生み出している。
いつ内乱や分裂が起こっても不思議では無いレベルであり、それを押さえ込むために中央政府は、あらゆる手段を講じてでも、強気で弱みを見せない対応を誇示しなければいけないのだ。

中国の人民に自由が許されるのは、中央政府の気分次第であり、共和制の限界でもある。
自由を歌い上げるステイツでも、常に内乱の危機は存在する。

大国の抱える悩みではあるが、国民の声を抹殺・弾圧する政府に未来は無い。

声は通るが、聞く耳を持たない政府を持つ日本と比べれば、どちらがより不幸かは推して知るべし。

話を戻すと、中国政府のプライドの高さというか、メンツを守ろうとする態度は異常であり、一つ間違えば狂人の域。
事故を起こした高速鉄道を埋めたり、モンゴルを囲い込んで外国人を排除して孤立させたり、法を犯した船員を強引に引き取ったり、と気違いじみている。
今回の水害でも、行政の不手際を隠蔽するのに必死すぎている。

国の罪を突き上げるのは非国民ではなく、正当な権利なのだということを改めて痛感する。