想定外ばかり

北海道では、爆弾低気圧で暴風雪が起こり、鉄塔が倒れたために、広範囲で停電した。
想定では、あの鉄塔が倒れるというのは、地震以外では有り得ないとのことだ。
急速に積雪があり、重量が増した躯体に、強風が吹き荒れた結果が想定を超えたわけだが、これまでの常識は通用しない時代に入っているのかもしれない。

日本の安全神話には、元々根拠など有りはしない。
古代から、地震津波、台風、竜巻、噴火、とあらゆる災害の巣であり、歴史を紐解けば随所に天災の記録がある。

云わば、起こらないことを祈って社会を構成しているわけで、何処にも手放しで安全な土地などない。

現在の東京に、江戸幕府が開かれる以前は、荒涼とした地質の悪い野原で、痩せた土地で、風も強く、度々の疫病で人口も少なく、お世辞にも魅力的な土地ではなかった。
徳川家康は、この土地に転封された時に、絶望しか感じなかったと残している。

その後の埋め立てや水路の開発で、徐々に生活の場が広がったが、水質の悪さは相変わらずで、地震も多く、そういった厄災から守るために、寺社建立で土地を清めたという逸話があるぐらいだ。

現在社会でも、人間の防災努力を軽々と越えて、大災害は何度も日本を襲った。

富士山が噴火するというのは、予測の範囲内であり、必ず起きる災害だが、それがいつなのかを特定できない以上、日々の生活権を制約することはしない。

南海トラフ連動地震も確実だが、どの程度の規模なのか、何時なのか、津波は何mなのか、シミュレーションは幾らでもできるが、実際のところは誰にも分からない。


分からないことに備えるというのは忍耐がいるし、どこまで想定して金を掛けるのかも問題だ。
日本の防災対策が高度なのは認めるが、近年の異常気象や天災は、あざ笑うかのように想定外の結果を残している。

可能性だけなら、日本が分断されるような地震活動も起こりうる。
考えに考え抜いて、人は今日の平和を享受して、あすも同じ日であれ、と祈ることさえ忘れてしまう。

無責任な預言者や妄想家の科学者を信じるのは愚かの極みだが、科学的に可能性が高い物には、誰かが監視の目を光らせなければならない。

ニュースにも出ないような、地味な防災の戦いが、今日も続いている。