銃社会の対立

先日のコネティカット州の小学校襲撃事件、ペンシルバニア事件、銃の乱用が目立つ。

そんな中で、全米ライフル協会(NRA)は、銃による自衛を強化するべきだ、と強弁した。
銃事件から身を守るために、善良な人が銃で武装する、この論理というか、パラドックスは解決するのだろうか。

ステイツはクリスマス休暇で、大統領も海外旅行に行ってしまったので、この問題は結論を出さないまま、持ち越された。
年内に何らかの規制を行うようだが、腰砕けに終わる可能性が高い。

憲法で保障された権利でもあり、銃社会の危険性を解決するには、憲法の改正が必要だ。
誰が銃を所持して良いのか、どんな銃なら良いのか、全米で納得できる答えはない。

例えば、未だに保安官しか居ないような僻地では、自分の土地や家族を守るために銃を所持するしかない現状もある。
法律では、他人の敷地に無断で入れば、有無を言わさず射殺されても文句は言えない。
セーフティゾーンの確保という意味では、アメリカ人ほど神経質な国民はいない。

一見、フレンドリーな国民性に見えるかもしれないが、対人関係でも相手の周囲に入る時は、余程親しい間柄でもない限り、後ろや横に立たれるのを嫌う。
引越しをした場合、ホームパーティーに呼ばれるまでは、よそ者扱いだし、挨拶が済むまでは常に監視される。
自衛意識の高さと、社交的であること、ステイツで子供の頃から仕込まれる躾の基本だ。

そこに銃が加わることで、問題は大きくなる。

自由な国の社会環境は、様々なルールで縛られている。