卒業というと

今週のお題「卒業」

尾崎豊が、真っ先に浮かぶのが、私の世代。
若い頃は、彼のメッセージを理解しようと、同人誌に連載を持つほどだったが、今では懐かしい友人を悼む気分だ。

年をとった尾崎が、どんな歌を作るのか、は無理な希望になってしまった。
できれば、生きていて欲しかった。
汚い大人になって、おっさん特有の変化に苦労しながら、それでも歌い続けていたら、とても魅力的な人間になったことだろう。

吉田拓郎のファンでもある私としては、彼の正直さが大好きだ。
嫌なことも面倒なことも、何か大変なのだが、歌として流れると、それは人生の重さになる。
まぁ、歌う方も、聞く方も、いい大人なので、それがマジックであると知りながらも、やはり彼に期待してしまう。
上手な嘘を聞きたい気分の時も、あるのだから。

しかし、儀式としての卒業は幾つか経験してきたが、意外に心に残っているのは、元服式だ。
15の年に学校で祝ったのだが、他所の中学でもやっていたかは知らない。
かなり変わり者の校長だったから、古式豊かな式を断行したのかもしれぬ。

紅白饅頭を土産に貰い、何だか気が引き締まる感じがしたものだ。
成人式は、酔っ払ってスルーしてしまい、スーツ姿の友人が訪ねてきて、飲んだくれている私たちを見て、呆れ顔で説教されたのを覚えている。
あいつは、本当に真面目な男だった。

人生の節々で、卒業という名の出会いと別れは、いつでもやってくる。
すでに、友人との永遠の別れも何回か経験してしまい、何だか向こうの方が賑やかで楽しそうな気さえする。
死という人生の卒業で、あいつらは何処へ行き、何をしているのか。

私ばかりが老けてから、のこのこと出向くのでは、バツが悪いじゃないか。