戦争の愚かさ

【戦争映画なんてのはね、観ないですよ】
戦争体験者の多くは、こう語る。

今、北朝鮮の暴走とも言える連日の強弁で、にわかに朝鮮戦争の休戦状態が解かれようとしている。
38度線を境に、60年近く睨み合いをしていきた両国は、緊張が緩くなった時期もあったものの、三代目の独裁基盤の安定のためか、はたまた軍部の影響か、とにかく核開発を背景に事実上の休戦条約白紙を宣言してしまった。

朝鮮半島の戦乱が、日本にどう影響するか、は未知数だが、政治的な駆け引きは抜きにして、純粋に私見を述べたい。

戦争は、人類が行う活動の中でも、最も愚かで非生産的な行為であり、どのような大義名文を掲げても、正当化することはできない。
終戦を失った命の数を理由にしようとも、それまでの人の命より国が大事だという言を考えれば、ダブルスタンダードの極地だ。
国民より大事な国など存在しないし、戦争をするぐらいなら、非戦を謳い、世界が団結する方が大切である。
孤立の極みにある(自業自得だが)北朝鮮にしても、滅びに向かって一直線に崖下を目指すのではなく、何かしらの未来を信じて、世界と協調した方が良いに決まっている。
バカボンには、国民の命や生活を守る責任があるのだし、指導者として過去の過ちは改める責任と役目がある。

昔、日本は世界から孤立し、ドイツと共に勝ち目のない戦争に突入し、アメリカの物量に押しつぶされるように負けた。
腰抜けと呼ばれている三国同盟の足でまといイタリアだが、早期に政権が崩壊し、戦中から脱落したのが、後になってみれば良かったとも言える。

その第二次世界大戦時の東京でも、特に被害が大きかったのが、今日3/10の空襲だ。
投下弾薬量は38万1,300発、1,783トン。
クラスタ焼夷弾がメインであり、日本式家屋を破壊するより、火災により消失させるのを目的にした爆撃で、発生した炎は街を舐め尽くし、立ち昇った黒煙は成層圏にまで達したという。
死者8万3,793人、負傷者4万918人、100万人が被災した。
12万人の孤児が、地獄絵図の中を歩んだ。

あの頃は、人類が狂気に身を任せてしまう時代で、戦争へのタガが外れやすい状態であったとしても、余りにも多くの命が戦火に消えた。
幼い文化レベルによる愚かさを認め、戦争を回避しようとする知恵や会話が必要とされた。
武器から経済へと戦争は姿を変え、もう世界大戦のような事態は起こらないだろうし、先人の魂に誓って、やってはならない。

より局地的な戦争は、今も続いているが、北朝鮮を見ていると、100年前の日本のようである。
笑うなかれ、かつては日本も独裁に近い政治体系であり、その統治法を朝鮮半島に教えたのは、大日本帝国とも言えるのだ。
その後、旧ソ連の後押しで北朝鮮が誕生し、今に至るのだが、そのソ連も解体され、ロシアの勢いは衰えるばかりだ。
人類に社会主義や共和制は無理だ、という説も根強くある。
理想は、必ずしも現実を満たしてはくれないものだ。


日本人の多くが忘れかけている戦争の苦さが、すごそこの国で起きるかもしれない。
平和憲法を掲げる日本は、その時にどう声を上げるのか。
それで、日本のアジアにおける存在感が証明されるだろう。