あれから2年

2011年3月11日14時46分18秒、M9.0という観測史上未曾有の大震災が、東日本を襲った。
死者15,881人を出した被害の多くは、火災ではなく津波
あらためて、古来からの伝承の正しさを痛感させられた。

100年とも、1000年に一度とも言われた震災だが、過去の経験を参考にした防波堤ですら、簡単に破壊され、押し寄せた海水の濁流は、掛け替えのない人々の命を奪い去った。

あれから、2年。
遅々として進まぬ復興事業、ガレキの問題、仮設住宅の劣悪さ、地盤沈下や人口流出による故郷の消失、極めつけは東電の人災である放射能汚染まで、これ以上の地獄があるのか、という惨状は今も続いている。

私も、少しだけ被災者と交流を持つ機会があった。
放射能汚染から身を守りたいという理由からだったが、本当の意味でお役に立てたかは自信がない。

昨日は、日曜日ということもあって、被災地の多くで慰霊祭が開かれ、TVの特番も各社揃って行なった。
泣き芸能人と言われるキャストの番組もあれば、原因究明から津波による防波堤倒壊を科学的に検証したものも放送された。
そして、現状を知るという事に焦点を合わせた番組では、主に石巻市が登場し、復興の進まぬ理由と仮設住宅での暮らしの酷さを伝えていた。

東北の人は我慢強い県民性なのだな、と痛感した。
それでも、他の都市に移住した人も多く、帰るあてのない故郷の停滞ぶりに怒りを国に向けていた。

民主党政権時代は、本当に最悪である。
海江田氏は、それでも民主党の成果を叫び、細野氏は怒る。
だが、結果として民主党は、いたずらに被害を増加させ、復興も進められなかった。
菅直人の名を聞きたくもない人も大勢いるだろうし、闇夜の3年と言わざるを得ない無能っぷりだった。

安倍総理は、7日に復興を加速させる旨を通達したが、現実として人と物が足りない現状を、どうサポートできるかに掛かっている。
復興庁の根木氏は、年初の訓示で、現場主義と司令塔の強化で、復興を加速させると意気込みを伝えたが、それなら現地に本部を置くべきだし、判断も地方主体で行い、取次や査定を簡略化するのが一番だろう。

荒野が広がる光景は、在りし日と比べると、寒々としていて、あらためて津波の恐怖が分かる。
今回の津波を基準にして、防災対策を行えば、常識ハズレの工事が必要になるし、果たして有効かどうかも不明なままだ。
過去に学ぶのは大切なことだが、それが復興の足を引っ張っているのなら、現実的な判断も必要かもしれない。
同じことは、放射能汚染の基準値にも言えるが、こちらは実際に幾らなら健康被害が出るのか、というデータが少ない以上、安全のためには厳しくしなければ、後で酷いことになりかねない。

亡くなった方、今も無念の思いでいるであろう行方不明の2,668人の命に、再び黙祷を捧げたい。