昭和の父

まだ若い頃に、【昭和は遠くなりにけり】という言葉をよく聞いた。
まだ、昭和だったわけだが、これは40年代から激変する社会を嘆いてのことだったと思う。

高度経済成長の只中で、個人主義・拝金主義が蔓延し、家族の在り方も変化した。
団地が流行し、核家族化が始まるに連れ、家長制度が崩壊し、父親は過酷な労働で生活を支え、夜勤や残業が多くなり、食事の席から離れたことも理由の一つだったと推察する。

私が幼少の頃は、父親が席に付かなければ夕食は始まらなかったし、まず箸を付けるのを確認してから食べたものだ。
ちゃぶ台返しという技は、父親の特権であり、一日の出来事を報告する場でもあった。
こういう家族形態が正しいかは別として、個人主義が横行する現代と、どちらが幸せなのかは人による。
父親だからといって、無条件に尊敬されることは、もう無いというのは確か。

家族における父親の役割が減ってくると、何のために結婚をするか、も揺らいでくる。
妻との時間を楽しむため、というのは最初だけの話で、余程でなければ、夫婦は持たない。
子供を作るというのは大事なことだが、経済的な理由や主義主張の関係で、少子化は続く。
老後を豊かにするというも、これまた微妙な気がする。
一人で出来ることと、2人でなければ出来ないこと、もし単身者に養子を迎える権利を与えたら、かなり結婚率は下がるんじゃないか、と思う。

もちろん、仲の良い夫婦もいるし、子供が出来なくても続いていける関係もある。
老後という言葉も失礼な呼び方で、今では65歳以上の恋愛も、結婚も、珍しくはない。

ただ、父親という言葉にあった責任感や気持ちが薄らいでいる気はする。
女性は出産すれば【母】だが、現代では男はいつ父親になるのだろうか。
【父】とすぐに自分で受けいられる人は、誠に幸せである。
大多数は、実感が得られぬまま、子供の世話に入るのだから。