遊びの延長

今週のお題「部活動」

学校の部活は【遊び】である、と私は断言する。
遊びというからには、そこに楽しさが無ければいけないし、勉学を損なうような過度な練習は本末転倒である。

第一、顧問という人間に、どこまでの視野があるかというと、自分の担当した部活を強くし、自分の評価を上げたいという自分の都合だけが先行している。
学校の部活ごときで、何様になったつもりか知らないが、遊びのコーチ風情が、生徒の人格形成など出来るわけがない。
体罰や恫喝など、問題外だ。

自分が好きな遊びを、より楽しむために入るのが部活であり、そこで結果を残せたら、それはラッキーというだけで、勝敗重視になる必要などない。
対して年齢も違わない先輩とやらに学ぶことなど有りはしないし、ましてや上下関係など、ちゃんちゃら可笑しい。
たかが1〜2齢の違いで、後輩に指導などする資格はない。

いや、私は部活で学んだし、成長した、という人も多いと思うが、それは思考自体が洗脳されていただけで、冷静に考えれば変だったと感じる点が多いはずだ。
慣例に習うほうが楽というだけで、単に流されていただけだろう。
遊びのスキルアップが出来たというなら、それは納得だ。

高校の部活から、プロという職業アスリートになる道もある。
文系でも、音楽家や小説家が育つこともある。
だが、基本的に部活は勉学の余暇で行う遊びであり、部活のために学校に通うなどというのは、おかしな話だ。
プロを目指す人間というのは、部活の内容に関わらず個人的な努力を積む人物であり、遊びを逸脱してでも、これで飯を食うんだという執念もある。
最初から、心構えが違うのであって、部活の顧問や練習内容がプロを育てたというわけではないのである。
誰それを育てた、とか紹介されて天狗になっているコーチは、腹の中でプロに笑われていることに気づくべきだろう。

とにかく、部活は【楽しく】が基本であり、この顧問やコーチは変だな、と感じたら、すぐに辞めて構わない。
他にも趣味を育てる道はあるし、イカレた指導者に洗脳されるぐらいなら、帰宅部の方がましというものだ。

学生の皆さんは、世間を狭く考えずに、部活の呪縛のようなものに縛られない自由な個性の伸ばし方を学んで欲しい。