映画と銃とアメリカという国 ②

今から書く話は、私が渡米していた当時の事であることを先に銘記しておきます。

デトロイトと言えば、ミシガン州というより全米一危険な街だ、と日本人の多くは思っている。
それは、ある意味で正しく、ある意味で過ちである。
危険地域とされている場所、夜間、単独行動、これらをした場合、不幸な犯罪に巻き込まれる可能性はグンと上がる。
逆に、これらを注意すればデトロイトとはいえ、いきなり頭をブチ抜かれるような目には合わない(と、思う)。

当時の私は、東洋人は年齢よりも若く見られる、という通りビールやタバコを買うのにもパスポートを要求された。
容姿のせいで不便な思いをしている私に、協力者のジョーが髭を生やし、サングラスをし、なるべくラフな服装で軽くアクセサリーやクロス等をあしらってくれた。
ロザリオでは無くシルバーの十字架型アクセである。
郷に入れば郷に従えということだ。
これで買い付けの際に足元を見られることも減り、バーに入って飲む事もできる様になった。

仕事の都合で、一時期就労ビザを申請していたので、ついでにミシガン州の射撃訓練場に通い、銃の携帯許可証を申請した。
驚くほどあっさりと発行されたのだが、ジョーによると私の滞在住所が長期間変わっていないことが重要だったらしい。
パスポートと携帯許可証を提示して、シングルアクションのリボルバーと弾を合わせて80ドル程で購入した。
ちなみに所持と携帯では、許可証が違うので注意。
ジョーが持っていたので、私は必要無かったのだが、護身用と言い訳をしながら好奇心に負けたのだった。

幸いなことに、一度も街中で使う機会は無かったが、庭や畑でかなり練習したお陰で、手入れの方法や射撃技量はジョーからお墨付きを頂いた。
実際に人に向けて撃つ機会など無いに越した事はないし、人殺しの道具を上手く扱えても自慢にはならないのだが、同じ武器である刀剣を愛でる心境に近いものを感じた。
補足すると、私は道場剣道で2段であり、居合いの許可を受けて練習していたことがある。
学校等のスポーツ剣道は一度も参加していないが、オリンピックに射撃競技があるように、武器も使用方法で健全になる、と思いたい。

だが、ジョーによると、押し込み強盗に遭った家人が殺傷されるケースでは、護身用に置いた自分の銃で行われる場合が多いと言う。
つまり、暴漢は手ぶらで侵入し、眠りこけた家人を枕の下や引き出しの銃で殺傷し、そのまま捨てて出て行くわけだ。
銃社会の暗部を知ると、自分が帰る国の安全さと平和ボケが身に染みて分かった。

カリフォルニア州に映画の仕事で行くときは、車での移動が中心になり、モーテルに宿泊していた。
日本では如何わしい扱いだが、ステイツでは普通に車で泊まれる宿屋である。
基本的に食事が無いので、外食続きになるのだが、これが結構悩みの種だった。
私は、さしが入った肉を美味いとは感じない性質なので、熟成した赤み肉を豪快に焼くバーベキューステーキは好物だ。
とはいえ、幾ら安価でボリュームがあっても3日と続けて食べたくは無い。
しかし、モーテルの近くの店は肉料理ばかりなのだ。
仕方が無いので、スーパーで具材を調達してサンドイッチやフルーツで味覚と飢えを満たすことになる。
たまに中華料理店を見つけると、喜んで飛び込み、人間の食べる量じゃないチャーハン一人前を三分の一ぐらいで満腹になりながら、やっぱり日本人は米だなぁ、等と呟いていた。
当時でもカリフォルニアは米の産地だったので、和食や中華で米にありつける確率は高いが、日本料理店はアホかと思う値段なので、一回しか入ったことは無い。

ハリウッドのUSH(ユニバーサル・スタジオ・ハリウッド)は、その名の通りユニバーサル映画会社が運営するテーマパークだが、USHでは撮影中の現場観覧やスタジオ・ツアー等が楽しめる。
また、撮影に使用した書割や小道具から戦車やヘリ等の大物までが、そこら中に捨ててあり、私の夢の世界であった。
敷地が広大なので、何度も通う必要はあるが、アトラクションそっちのけでウロチョロする私は、かなり変わり者の部類だっただろう。
施設内のガイドや店員も、明日のスターを夢見たり夢破れたりした人間が多いので、そういう話を聞くのも楽しかった。
撮影中の火災で、エキストラや製作関係者が巨大な書割の下敷きになり、運良く窓やドアの穴の空いた部分だったため、九死に一生を得た話など、類居に暇が無い。
魔都の別名で呼ばれるハリウッドの黒歴史も、どこまで本当かは知らないが、学校の怪談レベルで聞く分には面白かった。


3年ほどの間だったが、この頃の私の頭には国境が無く、世界中を見て回れるような勢いがあった気がする。
論理的な思考を好みながら、子供のように見聞を広める夢を見ていたのだ。
今の私は、低予算映画を主に観ながら、世界中の才能に出会えるのを楽しみにしている。

もう、子供のような夢は見ることが出来ない。