B級と呼ばれて

最近、かなりマイナーな作品でも、国内向けに販売される機会が増えてきた。
有名な所ではアルバトロス・フィルムやギャガ等、B級映画を専門に販売する会社も山のように出来た。

一般的にB級作品とは、低予算枠で作成された映画を指す業界用語だったが、低予算ゆえの不出来さで、作品内容の格付けと思っている人も多い。
それはそれで構わないが、私のいうB級とは本来の意味で低予算・短期製作の物を指す。

予算の無さをカバーするために、新人監督、無名役者しか起用できず、高いスタジオレンタル料が払えないので、もっぱら屋外や極度に限定された建物内だけで進行する作品が多い。
そんな中で、『キューブ』『saw』のように悪条件を逆手にとって、アイデア勝負を仕掛け成功する作品が出た。
そこまでは良いとして、世界中の若手が類似品の製作に走ったのは、とても情けない状況だった。
何の捻りも無いコピー脚本で、少し手数や舞台を変えただけ、販売会社も安く買い叩けるので、邦題までパクリである。
ターミネーター』の時もそうだったが、あえてブームに便乗するためにしか映画を撮っていないのが嘆かわしい。

B級映画、インディーズに選ばれるジャンルとして、ゾンビ物・エイリアン物・殺人鬼物は三本柱である。
低予算でも工夫次第でゴアシーンが撮れるので刺激があり、脚本が破綻していても、最初からそんな部分に期待する人も少ない。
要は、理由は何であれゾンビやエイリアンや殺人鬼が現れ、薬とSEXに溺れるティーンエイジャーを追い掛け回せば成立する。
少しでも見所があれば、マニアは忘れないし、又そういう絵が撮れる監督は、いずれ成長してマシな物を撮れるようになる。

同じ理由で、モンスター・パニック物も星の数ほどある。
これも軍の秘密兵器、公害や薬物汚染、古代種の復活など、適当な理由で、昆虫・爬虫類・鳥類・魚類が敵となり、挙句の果てには蛙やプテラノドンまで襲ってくる。
合わせ技として、『ハゲタカゾンビ』『ネズミゾンビ』『宇宙から来たツタンカーメン』他、それなりに面白い作品も出てくる。

まだ無名だった頃のジェームズ・キャメロン監督作『殺人魚フライング・キラー』は、当時のB級映画を振り返る意味では代表的な作品。
監督は振り向いて欲しくないだろうが、まず企画書の段階で「『ピラニア』が成功したから、続編を作れ。恐怖を増すためにトビウオを足して空からも襲わせるんだ・・・」。
私がジェームズなら、明日食べるサンドイッチを買う金が無いぐらいの状態でなければ、絶対に引き受けたくない仕事だ。
そんな生活だったかは知らないが、撮影を開始したジェームズは更に撮影期間の短縮を強いられる。
「ブームが過ぎたら金にならない」という理由で、だ。
しかし、現場には肝心の空飛ぶピラニアが2体しか無かった。
これ、馬鹿馬鹿しいけど主役である。
今のように安いCGで水増しが出来る時代ではないので、監督とスタッフ、果てはキャストまでが手作りで4体の本物と数体のダミー(アップに出来ないレベル)を仕上げた。
とても良く出来た物を近接撮影に使い、クライマックスのパニックシーンでは、襲われている本人が羽魚を掴んで一人芝居をする。
そして、また次のシーンの人に羽魚は手渡され、の繰り返しで、どうにか模型が壊れる前に撮影は半ば強制終了。
監督本人が語る通り、この作品は忘れて欲しい過去となった。

私としては、当時の苦労が偲ばれる良い例だと思うし、ピアノ線やスタッフが見切れているにしても、面白い作品だと思う。
ジェームズらしいカメラワークや恐怖を煽ろうと必死なシーンなど、後の大監督への要素は随所に現れている。
引き合いに出すのに、これほど打って付けの例はあるまい。

つまり、私がB級映画を好んで漁るのは、光る一品、ワンシーンを観たいからであって、時間をドブに捨てるためではない。
低予算・インディーズからでも、人の記憶に残る作品を撮れる人材はいる、ということを信じて已まないからだ。

古ぼけたノートに並んだ作品名と監督と良シーンのタイムデータは、今でも冊を増やしながら、本棚に並んでいく。
そんな私の奇貨たちは、亡者と嘘つきばかりの映画産業の中で、誰も観たことのない絵を見せてやる!と、今日も工夫と努力を重ねていることだろう。
いや、重ねていて欲しい、姿を消した人の方が圧倒的に多いのだけど・・・。