人生の時間感覚

皆さんの一日は長いだろうか、短いだろうか?

私の体感的には、年齢と共に時間の進みは速くなる気がする。
知らない事だらけの成長期には、一日の新しい経験が多い分、それを処理するのに悩む時間が長い。
これは大事なことであり、どんな類の経験でも、しないよりした方が良いと思う。
PTSDになるような経験はしない方が有難いが、したからといってそれが無駄になるわけではない。
人の数だけ幸福も不幸も存在し、運命や宿命等と大げさに考えなくても、生きている限り人間は何かしらの目に合う。
こういった経験の処理が積み重ねられる時期は、記憶にも残り易いので、充実した時間=長い時間と感じるようだ。

これが学生時代から社会人へと移り、責任が伴う世代になると、どうにか損をしないように生きたいと思うようになる。
実際、そんな人生は無いのだが、それまでの経験で回避しようとするので、必然的に好奇心や冒険心が希薄になり、同じような毎日の繰り返しを選ぶ人も多い。
当然、新鮮な体験も激減するので、一日は徐々に加速していく。

車に例えると、最初は恐々と運転していても、段々と慣れてきて、意識しなくても同じスピードで走らせている感じか。
そして、運転技量は変わらないが、老化と共にスピードや注意力は落ち、最後には止まってしまう。

そんなドライブ人生でも、他の車は突っ込んでくるし、踏み切りで前後不覚に陥るかと思えば、横断者を跳ね飛ばしたり、ガス欠やパンクで立ち往生、という可能性もある。

纏めると、同じような毎日を過ごすほど、振り返ったときに記憶が薄いので、一日が短く感じる。
老いて益々盛ん、という人生を送っている人には、一日の長さなど気にするほど変化していない、とも言える。

私は、すでに一日をとても短く感じてしまっている。
それなりに変化はあるのだが、たった80㎡の空間の中で、新しい経験があるはずもない。
外の世界では、私が関与しなくても、今日も悲喜交々な人間模様が起きているのだろう。
ネットのニュースは、やたらと暗い世相ばかりを報道している気がするけれど・・・。

実感として、足を止めた5年前から、私には何の変化も無い。
7冊目になった雑記帳と映画ノートだけが、この時間が確かに経過したことを教えてくれる。
人生における5年という月日を無為に過ごしたと考えると、まるで老化するタイムマシンで5年後に来た気分である。
それまでが、規格外の日常だっただけに、余計にそう思うのかもしれない。

私は、今日も昔の記憶を掘り返し、空白の今を過ごしている。