心の形

たまに、心は積み木のようなもので、辛い経験をすると、そこが不安定になるので揺れるのだ、という。
それを言うなら、ジェンガだろう、とも思うが、まぁ理解しやすいモデルではある。

私は、心の形は先が細くなった漏斗状で、溝のあるすり鉢のような物ではないか、と思う。
分かり難いかもしれないが、逆三角形の排水管と言えば、もう少し伝わるだろうか。

小さな経験はクルクルと落ちていくが、大きく揺さぶられた経験は歪んでヒダの部分に引っかかる。
それが何箇所もあり、小さくても似たような経験をすると、その大きい部分に集まって、幾つものコロニーを形成する。

屈辱、失敗、理不尽、別れ、孤独のような暗い感情だけでなく喜びや幸福のコロニーもあるだろう。
そして、積み重なった暗い感情が限界点を超えたとき、それを押し流そうとして更なる重圧を自分に流し込む。
何とかして真っ暗な管の下に追いやって、早く忘れてしまいたいからだ。
努力や幸福のような明るい感情の塊でバランスを取るのが健康的だが、不幸は感じやすくても幸福というのは中々に経験するのが難しい。

知らずに詰まった暗いコロニー群は肥大化し、心という入れ物を完全に覆ってしまう。
こうなると、何を流し込もうとしても下に落ちずに苦しみばかりを見ることになるので、ついには心で感じることを拒否するまでになってしまう。
汚泥が詰まった下水管を見るのは不快だが、もう簡単には洗い流せない状態なのだ。

私は、自分が心の弱い人間だと、幼い頃から自覚している。
愛情を理解できないまま育ち、本来なら緩衝材になってくれるはずの身内の情すら分からないからだ。
安定した幸福を選ばず、自分の生き方をするために知恵や経験を求め、常に一人であるという孤独や恐怖から自分を守るためだけに生きてきた。
幸いな事に惚れられる恋は幾度かあったし、結婚も子供を授かる幸運にも恵まれた。
だが、私が演じている姿に好感を持ってくれても、一緒に居る時間が長ければ長いほど、目に見える欠点が無いだけに、相手は私を責めることもできずに、自分が愛されていない、と気づいて離れていく。
私は、人との別離に際して、涙も見せないし、ケジメを付けたら、決して後を追わない。
ただ、実りのない時間に付き合わせて申し訳なかった、という気持ちがあるだけだ・・・。

愛を知らない人間が、愛を与える事など出来る訳がない。
演じる事は出来ても、真実他人を幸せにできる人間ではないし、自分の幸せさえ他人事のように傍観してしまう。

私の心の蓋は、もうずっと前に閉じたままなのだから。