人間のステイタス

他人を評価する時に、その人が持っている肩書きや社会的地位が重要なのは間違いない。
盲目的に尊敬することはないにしろ、それだけの努力をしたのだろうから、敬意を払う気にはなる。

では、真の人間性とステイタスはイコールだろうか?
これが、決してそうではないのが、人間の面白い所だ。

私が仕事先で出会った人は、皆何らかの肩書きを持っていた。
野心的でパワーを感じるタイプ、丁寧な口調だが常に計算しているタイプ、温厚で人当たりが良く笑顔を絶やさないタイプ、どれも生きるうえで身に付けた社交術である。

彼らに共通するのは、貪欲なまでの執着と自己保身である。
どんな職業でも、上に辿り着くには、他人への突破力が必要。
そのための手段が違うだけで、結局は自分の事しか考えない利己的な人間が、他人を上手に利用する為に仮面を被るのだ。
何の工夫も努力もしない人は、ただ兵隊のようにシステムに組み込まれるしかない。
これが自由主義経済の本質であって、どこら辺で妥協するかも、その人の自由なのだから仕方ない。

こういう人達を相手にビジネスをする場合、決してへりくだったり、食事や贈り物で機嫌を取ろうとしてはいけない。
金が貯まると人間は、更にケチになるからだ。
貧乏人ほど、僅かな収入の変化に一喜一憂して散財するので、いつまでも貧乏スパイラルから逃げられない。

金持ちというのは、自分の富やステイタスを利用しようと接近してくる相手には事欠かない
友好を深めれば、食事や土産で仲良くなれば、おべっかを言い続ければ、いつか何か頼んだときに聞いてくれるだろう、という損得勘定で、彼らより貧乏なのに勝手に気前の良いふりをしてくれる人間が後を絶たないのだ。
そこには、何の約束も存在しないのだから、金持ちは貢物を頂き、食事に誘われ、いい気分でいられるが、絶対に頼みごとやビジネスなどで協力してくれることは無い。
あんなに尽くしたのに!と恨み言をいう頃には、不要な資金をつぎ込んだツケで自分の首が回らなくなっているだろう。
金持ちは、弱者の自分勝手な腹積もりなど百も承知で、ただ穏やかに利用するだけだ。
彼らが動くのは、自分に120%の利があるときだけ、不利な契約など結ぶ必要も、義理も感じないので、絶対に損はしない。

恩や義理で動くのは一般人であって、小人ほど見栄や他人の噂が気になるものだ。
権力者や富裕層は、そんな彼らだけの常識を利用して、手玉に取って遊んでいる。

昔はいざ知らず、現代日本で立派な人とは、義理人情に厚い人などではない、ということになる。

私は、相手の会社の組織構成の弱い部分を研究して、意地の悪いトップ相手では無く、我々一般人に近い常識に縛られているタイプの管理職を狙い、後で覆されないような契約を結んできた。
大きな取引は目に付きやすいので、小さな取引を幾つも増やしたり、段階的・継続的に利益の上がる案件を取る。
バイヤーとしては、大物を狙って高い釣り餌を付けるより、たまに鯛が釣れればラッキーぐらいの気持ちで、沢山の釣り糸を垂れる方が確実だからだ。
金持ちの意地汚さは、幼い頃から熟知しているので、そういう人とは付き合わずに、義理人情に弱い組織構成員を見つけるのが面白くもあり、精神的にも楽だった。
誠意や根性を評価してくれる相手になら、私は全力で働き、充分な見返りを要求できたからだ。

今は、他人の腹を探るのも、こんな社会に戻る気力も無い。
収集した値が下がらない物と、一度釣り上げたマグロ級を切り身にして暮らしている。
私は貧乏人だが、一人で生きていく位の事は容易いし、病気に苦しめられながらも、何処かこの状況を楽しんでいるような度し難い性質をもっている。
自分のために生きて、自分のせいで滅ぶのも、因果応報で納得できる。

とはいえ、もしも自分を一から育て直せたら、少しはましなことが他人に対して出来る・・・かもしれない。