東日本大震災から1年

あの、目を疑うような大震災・大津波から、今日で1年が経った。
原発脆弱性と事後処理の不味さについては、気が向いたら改めて言及する。

まずは、哀悼の意を黙祷で捧げる。

最終的な死者は15,854人、行方不明者数3,203人。
住民票の転入を行なっていない者、身内が存在せずに他府県から移動中に巻き込まれた者、無登録の外国人を含めれば、死者行方不明者数は、まだ増えるだろう。

国内で観測された最大級の海底地震であり、未曾有の大災害を引き起こした津波は、全被害者の9割(92.4%)を溺死させた。

神戸・淡路大震災の時は、火災や建物倒壊が9割(96.1%)の命を奪った。
私の友人も2人還らぬ人になり、震災後から一ヶ月目のある事件で、別れて4ヶ月の元彼女は自殺で命を断った。
仮設住宅に置かれた彼女の遺骨は、私の中で今も震災の一ページとして胸に残っている。

生きていると、本当にこれが現実の出来事なのか、と疑うような災害や事件を目の当たりにすることがある。
昭和から平成に掛けても、多くの人命が奪われる事件・事故・天災があったが、私はそれらを出来る限りファイリングしている。

東日本大震災の場合、データが示すとおり、ほとんどの被害は津波によるものだ。
日本の周囲には無数の海底断層と海洋プレートが存在する。
島国である以上、直下型よりも海底地震への対策が重要なのは当然だが、田老町の世界最大の物を始めとする520の防波堤は、いつか来るであろう脅威に対して充分に役目を果たした。
普代村を守った高さ15.5mの巨大防波堤は、過去の経験から村民の猛反対を受けながらも、頑として譲らずに村長が建設したものだ。
マスコミの過剰報道で、まるで防波堤など何の意味も無かったかのようなデタラメな検証と報道があった為、多くの人はそれを信じ込んでしまっているようだが、地元の人は普段は無用の長物と感じていた防波堤の偉大さに感謝している。
この国のマスメディアが、もう存在意義を失うほどに堕落していることを知る例とも言える。

皆さんは、次々と公開される津波映像に様々な感慨を持ったと思うが、逆に不自然な気分にもされたのではないだろうか?
これには、明らかな報道自粛という名の改編や編集がある。
実際に津波を映像として捉えた記録は、1000を超えるが、民間の撮影映像も含めれば更に多い。
YOUTUBEや動画サイトに個人で上げておられた方もいたが、TV局や取材スタッフに協力して手渡した物は、ほとんどが使用されなかった、という事実がある。
直接的に人が濁流に消える部分、押し流される人々、必死の救助を叫びながら消えていく人、こういった部分は人道の名目で全て削除され、全体を俯瞰撮影した物を使用していた。
遺体の捜索、汚染された家畜の殺処分の経緯、ガレキ撤去の名目で付与された金の明細、東電への刑事告発、専門家の意見を取り入れない場当たり的な無意味な対応、海外企業への業務斡旋の説明・・・挙げたらきりが無い。
もちろん、凄惨な姿を晒せ、とは言わないが、情報の公開という点では、この国は目隠しされた状態なのだ。

同様に原発関連でも、東電や政府は情報の公開を意図的に拒み、結果として世界中のマスメディアから秘匿国家の烙印を押され、海外記者への報告会では参加者ゼロ国境なき記者団などの自由報道国家ランキングでも大幅に順位を下げられ痛烈な批判を浴びた。

嫌な部分に蓋をしておきながら、『予定も対策も実行できない被災地域の復興支援』を声高に謳い上げるマスコミと政府の面の皮の厚さには呆れ返るばかりだ。
事実を公にしてこその対策であり、復興ではないのか。
明らかに自由主義国家のやることではない。

地震原発関連については、海外のニュースや研究機関の方が、遥かに高精度で正確だったと付け加えておく。

この冬を仮設住宅で過ごした人々や失ったものの大きさに押し潰されそうになっている人々、常識的には帰れる筈もない放射能汚染地区を故郷に持つ人、そんな国民に1年もの間、何らの指針も光明も与えられない政府。
無為に流れた1年という時間の中で、政府と東電に対する不信感や怒りを持っているのなら、大人しくしている必要は無い。
国民を舐めきった態度の政府や企業には、心の底から抗議とNOの声を挙げて欲しい。

被災地域以外の人も、海外の予測では次に巨大地震が起こる可能性が太平洋側で日々高まっている事実を認めて、明日の我が身のためにも国の姿勢を正す気持ちを高めて頂きたい。

私のような人間が言うのも何だが、日本の本当の危機は天災よりも、社会制度に巣くう悪性腫瘍なのだから。