信念の在り方

『信念』
これほど捉えどころの無い言葉も珍しい。
政治屋やアジ演説家が口にする「これが、私の信念だ」という言葉は、胸に伝わるだけの熱を感じない。

信念とは、それが真実正しく無ければ、意味を持たないからだ。
信念の前提となる部分が、真実で疑いようが無い、とした場合、それを知識として知っている多くの人は賛同するだろう。
少なくともこの信念信奉者を否定する理由は無い。

逆に、それが独りよがりな妄想や精神・宗教論に過ぎなければ、同じ知識を持つ人しか賛同しない。
これは、真実ではなく、疑問の余地がある時点で、信念とは呼べないことになる。
従って、その信念信奉者は否定される、というわけだ。

では、初めて聞いた内容の信念だったとして、それが信じるに足るものだ、と大多数が認めたとする。
少数の否定派は、多数の肯定派に疑問を投げかけ、それを全て解答されたとしたら、知識として納得せざるを得ない。


これが、個人の主義主張の範囲ではなく、大多数の人間に影響する問題だった場合、そのとき貴方は何を思うだろうか?

天性的なカリスマと革新性を併せ持ち、それをサポートする人材に恵まれ、彼の言葉を多くの人に伝える舞台を与えられ、少なくとも疑問よりも価値を感じる信念信奉者だとしたら・・・。
たかが伍長に過ぎなかった男が、戦争で受勲し、労働者党のトップになり、国政を批判することで衆目を集め、合法的な選挙で首相に登りつめた男がいる。
アドルフ・ヒットラーである。

敗戦に沈むドイツ国内で、彼の演説は多くの民衆の支持を得て、信念を熱弁する姿に共感した人々は、自らの誇りと信念を一人の男から与えられ、世界史上でも類を見ない排他的独裁国家に変貌した。
実は、若き日の彼は愛国者ではあったが確たる信念は無く、アントン・ドレスクラーの信念に共感した一人である。
彼が人より秀でている部分は、その貪欲なまでの知識欲と狡猾な行動力にある。
人を陶酔させる魔力的な演説を行なえたのは、サポートした人材の功績が大きいが、彼自身も熱弁を奮う内に信念という武器に酔っていった。
後の結果は、皆さんご存知の通り、信念によるユダヤ人弾圧と無茶な戦略と精神論だけの派兵による敗戦、そして自殺である。
一人の男の信念が及ぼした影響で、余りにも多くの犠牲者を伴う結果になってしまった。

では、当時のドイツ国民が愚かだったのだろうか?
いや、ドイツは教育に関して、決して他国に劣ってはいなかったし、著名な学者や政治家も揃っていた。
無論、粛清や国外追放された人も多いが、少なくとも絶対的な権力を許すまでは、彼の信念を疑問視するよりも、支持する数のほうが圧倒的に上回っていたのだ。
彼の信念を聞きたい民衆は、ラジオを求め、顔を合わせれば彼の話ばかりしていた、という。
そうする内に少数の否定派は論破、或いは宗旨替えを余儀なくされていった。
この時点でのヒットラー信念は、成立していたのである。

独裁制度に移行した後は、彼も信念を通り越して民衆を自分の思い通りに動かすことに終始した為、神秘主義選民思想を主にするようになる。
もう、信念として筋が通っていなくても、誰も糾弾はおろか否定することさえ許されない社会に変貌していたからだ。
当時のドイツ国民に罪があるとすれば、一人の男に自分たちの全てを委ねてしまった点だと思う。


そして、今日、日本の政治家には信念が無い、モラルが無い、ビジョンが無い、とため息交じりで語られる。
政権が変わり、首相が誰になっても、魅力的な言葉を一切聞くことができない、と嘆く。
魅力的な言葉とは、国益であり、国民の生活が豊かになることであり、突き詰めれば個人が幸福感を感じる社会である。
これは、まだ誰も成しとけた事がない偉業であり、そんな社会があるわけが無いのだが、少なくとも目指すための労働や努力の方向性ぐらいは示してくれないと、日々の生活に疲れるだけの人生になってしまう。
政治家の信念が、成立するか、否定されるか、以前の段階で、この国は立ち往生している状態だ。

金や物を全員が平等に共有するのは不可能である以上、心だけでも安らぎのある社会にする信念の出現を待っている。
我々は、その信念を推考し論じ合いながら、集団の力で国の方向を模索しなければならない。

一人の天才に頼るのではなく、その案を国民全員の責任で形にするために…。