勝てる気がしない

SF映画のジャンルに『侵略物』というのがある。
巨大UFOや機動兵器が攻撃してくるものから、植物やウイルスのような人体を侵すタイプまで、人間が創造する宇宙からの侵略は様々だ。

さて、SFにおけるアイデアの源泉は、1940年頃までに出尽くした、と私は思っている。
後は肉付けや変化球をしているだけで、元は古典SFのどれかに該当してしまう。
どれだけCGのような映像技術が発展しようとも、脚本の段階で目新しい作品など無いに等しい。

例えば、『OUTER LIMITS』『THE TWILIGHT ZONE』等の海外短編ドラマ、これを基にした『ウルトラQ』、比較的最近なら『世にも奇妙な物語』、前述の海外2作品を一通り観れば、私の言っていることが理解してもらえると思う。
造形の古臭さを抜きにして、脚本だけを読んでも、簡潔でアイデアに溢れた短編を堪能できるだろう。
空想科学の醍醐味はアイデアにあり、派手な映像など付け足しに過ぎない。

ところで、私は仮に宇宙人が来訪した場合、どんな対策も無意味だろうな、と思ってしまう。
なにしろ相手は、恒星間航行を可能にしている種族である。
科学レベルでは、数百年は差が付いているし、相手の目的にもよるが、侵略ならばもうお手上げである。

前述の『THE TWILIGHT ZONE』から#089”TO SERVE MAN”を紹介しよう。
国連会議に現れた宇宙人は、危機的環境にある地球人を助けたい、と「高エネルギー変換装置」「安価で豊作になる肥料」「国を守るバリアー発生装置」を提供すると申し出た。
宇宙人の残した一冊の本の解読を担当したチェンバースは、地球を平和で豊かにしたいという宇宙人の協力に好意を感じていた。
ようやく解読された本のタイトルは『TO SERVE MAN:人類に供す』だった。

無償の善意を信用できない政府が行なったテストの結果、宇宙人の言葉には嘘が無いと判断され、世界中の政府は協力を受け入れて、戦争も飢えもなくなった。
やがて、彼らのカナミット星への旅行も開始され、地球人は良き来訪者の世界に行くのを心から喜んでいた。
チェンバースも恒星旅行に応募して順番を待っていたが、助手は長い順番待ちの暇つぶしに本の解読を続けていた。
そして、いよいよチェンバースが宇宙船のタラップを上り始めた時、助手が慌てて走ってきて叫んだ。
「人類に供す、じゃないんです…人類供す、料理の本なんです」
顔色を変えたチェンバースだったが、時すでに遅くカナミット星人に押し込まれ、恒星への片道旅行に出るはめになった。
地球の支配者から、異星人のメニューへと変貌する人類・・・。

この話は、特にお気に入りで、人類と異星人の価値観の違いや大事に扱われる家畜の皮肉を盛り込んでいて、とても興味深い回だった。

『世界侵略-LA大決戦-』と派手なタイトルで風呂敷を広げておきながら、何故か海兵隊程度に撃退される作品や『インデペンデンスデイ』など、いくらA級予算映画でも、SFとしては馬鹿馬鹿しくて観ていられない。

近作なら、『第9地区』『ノウイング』『パラサイト』『遊星からの物体X』の前日譚『〜ビギニング』が良作と感じた。
SFはアイデアが命であり、空想科学であっても何でもありでは無いことを理解している作品は面白い。
人類以上の科学力や生命力を持った侵略に、人間の出来る最良の判断で立ち向かうか、愚かさゆえに滅亡するか、どちらにしても納得のいく脚本であれば私は拍手を送りたい。

本当は『Close Encounters of the Third Kind:未知との遭遇』(ファイナルカット版限定)のように、希望を感じさせるコンタクトを描いた作品が観たいのだが、この手は展開にかなりのアイデアを盛り込まないと、途中で飽きてしまう。
まだ、才能の泉が溢れていた時期のスピルバーグ監督の傑作である(『宇宙戦争』で、もうダメだと感じたが)。

鬱期は、自分が好きな事柄にしか饒舌になれないので、どうしても映画よりの雑記になってしまう。
乱文・乱脈の点について、改めてここで謝罪いたします。