脱原発と省エネ生活

昨年の大震災で甚大な被害を被り、これからも事態は深刻化するであろうフクシマ原子力発電所メルトダウン問題。
だが、この事故のお陰で、日本中の原発の問題点や利権構造も浮き彫りになったのは、不幸中の幸いかもしれない。

私は、昔から原子力発電には懐疑的な立場であり、特に日本にはメリットよりもデメリットの方が大きいと思っている。
一つには、原発の基本構造はステイツが提供した古い機能であること、そして日本政府には中枢部分の修理や解体は許可されていない点である。
技術立国で世界の原発建造にも係わっている日本が、どうしてそうなっているのか、と不思議に思われる方も多いだろう。
これは、日本で原発を建造する際に、容易に核兵器への転換が可能な発電システムはステイツが管理する、という契約を交わしてしまったからだ。
実際にフクシマ原発の事故の際も、ステイツの原子力チームが派遣されたが、彼らが行なったのは日本政府には開封が禁じられている部分を勝手に開けていないか、という事だけを調べ、僅か3日で任務完了、と帰ってしまった。

また、原発の維持には除染清掃が欠かせないのだが、その最も放射能濃度が高いブロックは、臨時雇用者(原発ジプシーと呼ぶ人もいる)が行なっていたため、時間給が稼ぎたい彼らは検出計を外して働いていた、という情報もある。
東電の社員には深刻な被爆による健康被害は無い、と安全性を説明してきたが、陰にはこういう使い捨て扱いの人々が高い発ガン率で死亡していた。
原発の老朽化も深刻で、単なるスペア交換では到底追いつかず、原子炉を停止させてフルメンテナンスをするレベルまで痛んでいたにも係わらず、ほとんどの電力会社が部品交換で騙し騙し運転させていたのは、震災後のチェックで明らかになった。
エネルギー源として、原爆よりも放射性が高い元素で発電していながら、このような有様である。
貴方は、いい加減なメンテしかしない核兵器設置施設の側で、安心して暮らせますか?

かなり遅いとは感じるが、ようやく日本も脱原発を実現化する手前まで来た。
最後に北海道の泊原発3号機が停止すれば、国内の原発は全て停止することになる。
代替になる太陽光発電施設メガソーラーを始めとして、ガス発電や風・潮・地熱・水力の発電強化も進行している。
これらは、利権が薄いために冷遇された発電システムであり、本来なら火力発電をサポートするに充分な電力を供給できたはずだ。
使われなければ技術の進歩も遅延か停滞したままだが、必要になった今こそ日本の科学・技術力を結集して、原発に振り向かない姿勢を作るべきだ。

また、大電力を消費する工場・店舗・オフィス等は電力供給の上限を定めるか、産業向け電力計算で割高の別計算をするのが妥当だと思う。
たくさん使えば安くなるのではなく、段階的に採算が合うまで上げてやれば、一般家庭の電気代の上昇を抑えながら、産業・経済界への良い圧力になる。
原子力は日本の経済活動に必要だ、などと甘えたことを堂々と言い放つ老害トップは糾弾されて然るべきだし、効率的に電気を使う方法を考えるのも企業の義務であり、社会貢献だと認識すべきだ。

一般家庭は、すでに去年からエコで夏を過ごす方法を考えて実行しているし、命に係わるような真夏日は会社や学校を閉鎖するのも有効な手段だと思う。

何にせよ節電に向けて柔軟な対応を個人や自治体が心掛ければ、日本の電力需要と供給は安定化していくと思っている。

ドイツの脱原発は偽者だ、と主張する記事や御用学者にミスリードされてはいけない。
日本には日本でしか出来ない節電があり、技術立国としての本領を世界に見せ付けてやるぐらいの勢いで、太陽光や地熱の高変換システムを造り上げて発電すればよい話だ。
ソーラーパネルが普及すれば、それだけ価格も下がり、全ての日射面を覆いつくすことも可能だろう。
晴れ日の少ない地域への配電には、新たに配電企業を設立し、より安価で供給できるように競わせれば経済も新分野で活気が出るかもしれない。

政治屋や利権屋を通さずに、ガラス貼りの需要と供給をバイパスすれば、電気は電力会社でしか買えない商品では無い、と国民が認識する日も近い。

日本人は正しい認識の元でなら、一丸となって国難を乗り越えてきた民族である。
今、非核三原則原発に別れを告げ、本当はこうあるべきだった電力構造の社会を実現する時ではないだろうか。


この際なので、思う存分不満を書いてみたが、SF好きでも原子力発電に夢は感じない。
完全に制御できないものを人の暮らしに取り入れるのは、ナンセンスなのだから。