通院日

今日は、3週間ぶりの通院日だった。
いつのまにか風も温かくなって、桜の枝に蕾が膨らみ始めていた。
春が来ると、しみじみと一年が経つのは早いものだ、と感じる。

私は、外出時に杖を使用しているので、公共交通機関を利用すると、自然に気遣ってくれる方がいて、何だか申し訳ないような気もする。
特に年上の方とおぼしき人物に気を使ってもらうと、我が身の不自由さを抜きにしても、頭が下がる思いだ。

三本足
あえて、ニックネームに、この名を選んだ所以である。

カンフー映画に一本足という通り名の達人がいるが、その域まで達すれば面白いのに、と馬鹿な考えに苦笑する。

前にも書いたが、私は道場剣法を学んだので、小手を着けない剣捌きを身に付けている。
具体的には、3本の指で固め、柄をずらしたり、片手抜きに変化させたりする。
古来、鍔迫り合いから指を攻める技があり、これをやられると掌下から薬指まで斬り飛ばされる。
手の甲に当てる”小手打ち”と違い、あくまで実践的な剣術では狙う部位に決め事が無いので、ほとんど全ての急所を己の体と得物で捌かなければならない。

地走りという屈み込んだ姿勢から、主に下半身を狙い、時には伸び上がりを利用して顎を下から斬り割るという流派の技も存在した。
相手が動揺して斬り付けても、背中ならば致命傷を負いにくいし、なにより刀の構造上、かなりやりにくい。
抜き打ちに特化した流派では、長柄の刀を用いて、握りと鞘走りで剣速の最高点まで加速し、元の体制に戻す。
狙いは首、腹、腿、肘、脛、と大動脈や腱のある箇所で、例え浅くても相手は戦闘不能に陥るか、間合いが読めなければ即死である。
侍のチャンバラというと、お互いに見合いあって、一瞬の勝機に振り下ろすと思っている人が多いと思うが、そんな道場剣法が流行したのは江戸時代からであって、戦国の世ではとにかく相手を仕留めることに特化したのが流派だ。
卑怯とか、意表を突かれたとか、そんな言い訳は死んだら出来ないのだから無理もない。
柳生流が殺人剣を否定し、精神論を付け加えたため、他の流派も慌てて体裁を整えたのが実情だ。
そのため、実践的な殺人剣は邪流と罵られ消えていったが、示現流薩摩藩のお抱えとして受け継がれる。
そして、幕末の新撰組が行なった集団による殺人剣は脅威となり、各藩の人斬りは古流に学ぶという次第になった。
活躍の場を得た示現流は、中でも多くの血の伝説を幕末に残すことになる。
そして、明治の世になり、廃刀令と銃器の進歩で古流剣術は再び姿を消し、戦後はスポーツとしての剣道が続けられている。

現代で最も刃物を効率良く使うとすれば、包丁やナイフの刃を上に持ち、体ごと相手の急所に体当たりするというヤクザ映画お馴染みのスタイルが最良だろう。
技量など関係ない上に、気づかれても多少の反撃では人間一人の突進を止めることは出来ない。


また、好き勝手に暴走してしまったが、とにかく春が近い。
もうすぐ桜が舞う頃になれば、日本に生まれて良かった、と口ずさむ気分になれる(村下孝蔵の歌のように)。

まだまだ鬱期は終わりそうにないけれど、今日も医者に5分でいいから外出か散歩しなさい、と言われてしまった手前、もう少し気分が良くなれば、夜桜見物で散歩というのも悪くない。
もちろん、刃物ではなく、杖を持って、の話だが。