生きていくのに必要な物

収入と支出が同じような状態をワーキングプアというらしい。
働いても、生活費で収入が無くなってしまうのでは、確かに豊かな生活とは言い難い。

今の私は、これといった収入が無い状態だが、時間だけは膨大にあるので、余り不幸だとは感じない。
最低限、必要な出費だけをみても、当分の間は現金が足りなくなる心配はないし、換金物を処理すれば、更に長期間維持できる。
ただ、生きているだけという生活も実りが無いので、適当に工夫はしているが、鬱病と診断されている通り、余り集中力や気力を使う事柄は難しい。

その膨大な時間を消費するために、このブログを始め、情報の収集と整理を行いながら、自分なりに書いてきたが、改めて見直すと、随分と投げやりな態度になってきている。
基本的に社会情勢の誘導や陰謀論に興味は無いので、データから考え得る範囲で判断しているつもりだが、少し筆が走り過ぎているな、と自覚している。
人の意見や推論は根拠がなければ意味を成さないが、広範囲から集めたデータを取捨選択すれば、そう的外れな結論にはならないはず、なのだが・・・、やはり私に根付いた厭世感は深刻である。

趣味でやっていることと言えば、犯罪学、民俗学、心理学等で、楽しみは低予算映画の収集と視聴記録ぐらいなものだ。
科学の進歩やハイテクノロジーにも興味はあり、実証されていく新しい科学の世界には驚かされることが多い。
科学は1%の閃きと99%の実証データの積み重ねだ。
誰にも疑問の余地が無いと認められるには、机上の空論ではなく何十年にも渡る地道な証明作業が必要なのである。

こういう学者畑の情報も好みだが、人という生き物の内面の奥深さや馬鹿馬鹿しさを味わうのも良い。
厭世家で早めに隠居生活に入るような男だが、やはり人の生態や動き自体は見ていて面白いし、犯罪を研究するのも心理や時代背景を知る意味で、かなり奥が深いと感じている。
自分のことすら他人事のように傍観する度し難い性質なので、自分も含めて人間は興味が尽きない観察対象ではある。

私は、この雑記で何かを得ようとは思っていない。
書いている内容も自分で判断したことで、特定の組織や派閥の肩を持つつもりなど、毛頭ない。
若い頃と違って、誰かを論破したい訳でもないし、真実を追究するために行動する気力も減じている。
云わば、私の人生経験の埋め火が、チロチロと文章に熱を持たせているだけだ。

社会から離れても、自活するために労働する必要を無くしたとき、私の前には膨大な自由時間だけが広がっていた。
この国は病んでいる、私も病んでいる、だが自分自身の病は社会の毒気に染まったからではない。
自分の性質故に、今日も病み疲れた灰色の脳細胞は、ネットの海で僅かながらの真実を探している。