無垢=善という思い込み

最初に、4月2日のおっさんの夜は荒れ模様で、布団を踏み剥ぎ、左右にローリングして、抱き枕を押しのけていた。
昨夜のおっさんは、大人しく就寝していたが、途中覚醒のトイレ帰りにふらついて、タンスで脛をぶつけていた。
映画『Paranormal Activity』のような映像は撮れていないので、どうやら単に寝ぼけているだけのようだ。
以上、どうでもいい報告でした。


さて、少し無垢という存在について書く。
一番に思い浮かぶのは、乳幼児ではないかと思う。
人は、生物として不完全な状態で産まれてくる。
立つことも、食べることも、自分で寝返りをすることも出来ない。
妊娠期間が短いのが原因だが、それ以前に野生の本能の代わりに手に入れた大脳の発達のため、頭が大きい胎児は産道を抜けるために、身体が不完全なまま産まれなければならないというハンデを負ったのだ。
どんな生き物でも、赤子と言うのは可愛いものだが、こうしてアピールすることで、成体の保護欲を刺激し、構ってもらうことで成長する。
知能の発達以前に、まず生存するための本能として、泣き笑いという手段を行なうのである。

ある程度知能が発達してくると、2本足で立つという非常に難しい学習を繰り返し、赤子は身体の成長と共に人間への第一歩を刻むことになる。
この時期の周囲の環境が、後の知能の発達において、基礎部分を決定付ける。
「3つ子の魂、百まで」といわれる所以だ。

では、子供が無垢だとして、その心は善なのか、というと私の答えはNoだ。
そも、善悪の判断が法律によるものか、周囲の常識なのか、はっきりとは言えない。
他人を害しないことが善の基本ならば、子供と言うのは悪ということになる。
ある程度のレベルの教育と平均的な家庭で育ったとしても、子供にも心がある以上、そこには利己的な意識と言うものが必ず存在する。

子供の心を評するなら、無垢というより、無邪気か無分別と言うべきだろう。
無邪気に食べ、無邪気に遊び、無邪気に甘え、無邪気に嫉妬し、無邪気に自分の敵を排除する。
犯罪学では、子供(6歳以下)の傷害や殺人行為は、別に珍しいことではなく、動機は好奇心か邪魔者の排除である。
例えば、弟妹が生まれ両親の関心が自分から移った場合、自分の邪魔ばかりする人間がいる場合、自分の力で弄べる対象を見つけた場合、等がある。
愛情を取り戻す為に、赤子の顔に枕を押し付ける、二階から投げる、邪魔者を親から危険だと言われている物で攻撃する、といった行為が起こり得る。
複数で行なう場合もあるし、単独で実行することもある。
まだ、命の重さや善悪の判断が出来ないのだから仕方ない、で済まされない事態は、往々にして起こるものだ。

子供を無垢な存在だと漠然と信じていると、いつのまにか子供の心は危険な方向に成長しているかもしれない。
はっきり言うと、子供にも殺意や加虐心は存在する。
犯罪史でも、子供による殺人は多く記録されているし、他を虐待するのは自然な行動という見方もある。
親の知らない所で、殺意や加虐心を増大させ、ばれないように実行に移してしまうと、取り返しの付かない事態になる。

では、どうすれば子供の心を理解できるのか。
それは、子供を子供扱いしないことにある。
大人が守っているルールを子供にも与えることで、無軌道な行動は罰せられるという仕組みを子供にも理解できる形で教えることが出来る。
過保護にならず、虐待をせず、出来る限り冠婚葬祭の行事や日常生活に同行させるだけでも、子供は大人の世界への知識を蓄えていく。
最初は大きすぎる服でも、成長と共に寸法が合うように、大人はこんなことをしていると知るだけで、子供は自分が成長する道しるべを得られるのだ。

自分の子供が可愛いのなら、曖昧な認識で甘やかさず、常に子供の変化を見守りながら、共に行動する機会を増やす。
親は、木に立って見る、という通り、目は離さずに行動に指針を与えてやるのが、子供を子供扱いせずに成長させる手段だと私は思う。

無垢は善ではない、何色にでも染まる危険な状態なのだ。


私は、弟と6歳、妹と10歳も離れているので、オシメの交換からミルクまで、育児に必要な事は大抵やらされた。
母親が働いていたのと料理が下手だったので、そこをカバーするために家事全般に精通した変な子供になった。
幼い頃は祖父母にスパルタ教育を受け、親が離婚してからは家事手伝いと弟妹の面倒を見るという経験をしたお陰で、社会へ一人旅に出てからも、生活面では全く不自由はしていない。
「懐かしい味は、兄貴の味噌汁」とか言われても、少し困ってしまうが、私と違って弟は子宝にも恵まれ、家族・親戚と付き合いながら暮らしているそうだ。
父の顔を知らない妹は、私を父親のように感じていたが、勝手に放浪に出てしまったことで、心に傷を負わせてしまった。
一度、13年前に会った時には、随分と責められもしたし、「もう帰って来ないでしょう」と、コートや時計を生き別れの形見に奪われてしまった。

私は、実の息子とは3年という月日しか一緒に居られなかったが、弟と妹も子供のようなものかもしれない。
もう、帰る日が来なかったとしても、私は少しだけ想い出の中で安らぐことが出来る。