組織と個人

三人寄れば文殊の知恵、という諺がある。
それぞれは凡才でも、3人で知恵を出し合えば、賢者にも匹敵するという意味だ。

私は、基本的に一人で仕事をするのを好んできたので、集団の力という物に、やや懐疑的だ。

日本の会社組織の場合、社員には役割分担があり、課や部には責任者が置かれ、更に専務、社長、とピラミッド型を形成する。
ステイツの場合は、必ずしもこの形にはならず、オーナー以下全社員という会社も多い。
便宜上、役職は存在するものの、特別な扱いはされず、その代わりに仕事で成功すれば、勤続年数に関係なく報酬は支払われる。
云わば、チャンスは平等に与えられているわけだ。

終身雇用が崩れた日本でも、実力主義の企業が増えたが、社員教育で思考を奪い、馬車馬のように走らせる会社もある。
新人研修セミナーなどが良い例だが、その手のバイトをしていた身としては、あれは洗脳以外の何物でもないと思う。
ただ、どんなに上書きしようとも、人間の個性は消えないので、段々と勢いが落ちていくものだ。
経営者にしてみれば、金になる社員なら、人間性や忠誠心など問題にしないし、逆に良い人でも稼ぎが悪ければ不要である。
洗脳が薄まり、動きが鈍くなった中年社員を雇い続けるほど、実力主義の会社は甘くない。

バイヤーとして、企業を攻めていた経験で言わせてもらうと、社長以下全社員が同じ顔をしているような組織は、伸びるのも早いが崩れるのもあっという間だ。
同じ目標に向かい、同じ方向を目指し、同じように行動する。
同じ危機に動揺し、同じトラブルで悩み、同じように挫ける。
これでは、一人でいるのと変らないし、組織の意味が無い。
親亀こけたら皆こけた、という例を何回も見てきた。
団体行動がしたいなら、ボーイスカウトにでもなることだ。

社員の適材適所が正確で、常に問題をカバーできる部署や予備人員を配し、トップの判断に隙が無い会社が理想的だが、これを維持するためには、常に新しい人材の教育が必要で、社員の勤労意欲を保つためにも、余計な出費が嵩む。
特に人事担当が強い影響力を持ってしまうため、気が付くと派閥や賄賂が横行する事態にも成りかねない。

こうなると、組織に属する恩恵は、思っているより少ないことに気づくだろう。
使えなくなればクビ、無駄に社員が肥大すればリストラ、キレイごとで着飾っても利益が付いてこなければ倒産する。


個人で動くには限界があるが、その限界が求めている報酬に見合うのなら、充分に成果は出ていることになる。
何より、成功しても失敗しても、自分の責任と経験になるので、痛い目に遭いながらも確実に成長できる。
上司や会社のグチとは、無縁の世界だ。

職人が腕に磨きをかけることで独り立ちするように、バイヤーの世界も自分の器量一つで食っていけるようになるには、貪欲に知識や社交術を身につける必要がある。
まぁ、個人主義の弊害として、私のように鬱病で隠居するほど疲れ果てる人間もいるけれど。

個人バイヤーが食って行けた頃は、世の中に無駄や甘えが、たっぷりと転がっていた。
不景気が続いている昨今では、現役復帰したとしても、前のように仕事は転がっていないだろう。

ステイツの田舎で、自給自足の暮らしでも、予定してみようかな。