穏やかな日

今日は、気温といい風といい最高の小春日和だった。
布団やクッションの類を全て干し、ついでに炬燵布団も虫干しを行い真空パックして押入れに仕舞った。

模様替えの後なので、軽い清掃をして、ベランダで風に当たりながら一服した。
いつのまにか、眼下の桜は随分と散って、青葉が目立つようになっていた。
老婆がベンチで会話をし、幼い子供が危なっかしい足取りで駆けていく。
この何でもない穏やかな瞬間が、いつまでも続くといいな、と思いながら陽光を浴びて過ごした。

人生は無常だからこそ、一瞬に生まれ一瞬に消えていく時間を愛おしく感じる。
皆が同じ時間の上を歩きながら、同じ経験をする者は存在しない。
だからこそ自分と違う存在を求め、また遠ざけようとする。
地球上を見渡す目が持てたら、人間観察だけで、終わりの日まで楽しめそうな気さえする。

体温が±5度の変化で死ぬような脆弱な生物でありながら、知恵を持ち、想像が出来るというだけで、人間は他の種より繁栄している。
知的生命体と自負するには、まだまだ文化も科学も未発達で、地球の資源を枯渇させ、他の種を喰らうことでしか、文明を維持できないレベルの生命体ではある。
遠い未来に、人間が全く違う形で宇宙と共存できる存在になる日が来るか、それともちょっとした天体規模の変動や自業自得の失敗で滅ぶのか、それすらも地球という天体から考えれば変化の一つでしかないだろう。

空想を広げてみても、足元の世界が変わる訳でもないので、とりあえず陽光を浴びた布団に大の字で寝てみた。
自分自身のことさえ分からないのに、宇宙の真理などを空想できる生物。
この不確かで蒙昧な人という種に生まれた数少ない利点を感じながら、穏やかに寝た。

希死念慮を持ちながら、生きて色んな物を見たいという欲を持ち、ちょっとしたことで簡単に死ぬのに、ふてぶてしいまでに生き延びようとする。

矛盾だらけの自分は、いつ死んでも構わないと思いながら、この先の生計を考えている。

観察者の視点から見たら、本当に度し難い存在と思われていることだろう。
私も、そう思うよ。