発想の転換

最近、こちらの地方ではジメジメとした日が続いたせいか、部屋に羽虫を見かけるようになった。
仕方がないので、去年の使い残しの虫除けを置いたのだが、その時に、ふと気がついたことがある。

二段重ねの家具、上がガラスケースで下が引き出し、という家具なのだが、前の雑記で記したように、私は上にでは無く、横に家具を配置するのが好きだ。
これは、最初からそうなっていたので、別に疑問も持たずに置いていたのだが、布団を敷くと下段の引き出しが開け辛い。
そこで、上下を逆にしてみた所、これが中々に具合が良い。
ガラスケースというのは、一度装飾品を並べてしまうと開ける機会は少ないのだから、よく使う引き出しが腰の高さにある方が便利だと気がついた。
それに横になった時に、ガラスケースが自然と目線に入るので、中の品物を眺める機会が長くなった。
ケース・バイ・ケースだとは思うが、こういう発想が出来た時は、何となく嬉しいものだ。

今度は、下になったガラスケースが、角度的に奥まで光が当たりにくくなり、何か釈然としなかったので、小型の突っ張り棒と電池ボックスで、簡単な照明も制作した。
天板の面にアルミホイルを貼り、光源の角度を色々と変えていたら、小さなLEDライトなのに、複雑で明るい間接照明になった。
コンセント式ではないので、光量の弱さを補うだけのつもりだったのだが、思いがけず良い出来になった。

私は工作が好きなので、思いついた時に、材料と睨み合いをして設計を決め、具合が悪ければ改良を続ける。
出来るだけ安くシンプルな構造になるまで、試行錯誤するのも楽しいものだ。
昔、電気街で何かに使えるだろう、とセンサーや電気部品を拾い買いしていたので、余程でなければ、作りたいのに材料が足りない、という事態には余りならない。
まぁ、他にやることもないので、こういう面で発散しているのだけれど。

小学生の頃は、図工だけが3の評価だったのに、成長してから凝り始めるとは、自分でも思いもしなかった。
料理にしろ、インテリアや小物にしろ、どうやら亡父の趣味人の血が私にも流れているのだな、と最近は認めている。
成長してから、親の影響を感じるというのも、面はゆいような、哀しいような気もするが、自分の世界を作り上げるという楽しみを教えてくれていたことに感謝。
でも、少し気づくのが、遅かったなぁ。

道楽者で、家庭も顧みずに、自分の楽しみのためだけに働いて、衣食と趣味と愛人に散財した父親を認める日が来ようとは・・・。
あれだけやりたいことをやってのけて、50歳を待たずに癌で逝った父親を思い出すと、やはり昭和の奇人だったな、と。
他人なら面白い人だなぁ、で済むが、身内は堪ったもんじゃなかった。
でも、自己満足に過ぎないとしても、多分自分らしく生きたという点では、同じ男として、ちょっと敵わないな、と思う。


こういう視点で振り返れるようになったのも、発想の転換というものかもしれない。