曇天

今日も厚い雲が空を覆って、一日中パッとしない天気だった。
睡眠は、昨夜と同じで中途覚醒2回、5時起床。

メールのチェックをしていたら、メッセでステイツの友人と繋がったので、しばし文談。

日本のガレキが漂着し始めたが、放射能汚染を恐れて、片付ける人夫が集まらないそうだ。
向こうは、放射能に関して過剰に反応するそうで、脱原発を推進しているステイツにとって大変な迷惑だ、と報道されたという。
東電が海に排出(故意にせよ、過失にせよ)したセシウム137は、半減期が30年であり、推測総量3,500テラベクレルが流出した。
海流に乗って、途方もない量の放射性同位体が移動しており、当然だが漂着ガレキも汚染されている。
中国の公害や旧核実験の残留放射能と比べても、現在最も深刻で長期間・広範囲に渡る最悪の環境汚染である、と世界は認識している。

環太平洋の海流を共有する国々では、今は日本も大震災後で大変な時期だから、お悔やみの意味で文句を言わない。
しかし、各国に深刻な環境破壊と損害を与えたツケは、淡々と記録されており、数年後には国連を通して、共同で日本(東電)に対する抗議と損害賠償を請求する用意を進めているそうだ。

原発が崩壊したのは、自然の災害のせいだが、その後の放射能汚染に対する失態と繰り返された海洋流出、極めつけは海外記者が呆れ果てて参加すらしなくなった嘘と隠蔽だらけの東電の報告会、これら日本の対応を含めて、放射能汚染は人災であると位置づけられている。

何故、海外の機関やNPOが海洋や日本国土のホットスポットを念入りに調査してくれたのか、の一つの答えがここにある。
日本側からデータが出ないなら、2次被害国側が代わりに調査と監視をして、後で日本政府に叩きつけるためだ。
日本政府は、時間が経てば騒ぎも風化する、と楽観視しているかもしれないが、この問題に関しては通用しない。


私は、早期に日本の報道や発表に見切りを付け、海外の調査機関やニュース報道を収集し、取捨選択して嘘のないデータのみで自分流に結論を出した。
故意に過剰な論を述べる学者ではなく、淡々と科学者としてデータを積み上げるソースのみに重点を置いてきた。
過去に記した文は、その結果であり、今のところ大方の予測通りに事態は進行している。

内閣が、こういう各国の動きを知らないはずがない。
早期に消費税を引き上げたいのも、これから先、どれだけの金が必要になるか、想像もつかないからだ。
震災復興のためとはよく言えたもので、実際は国庫の破綻を先伸ばしするための財源でしかない。

公害問題の時も、国は企業側に立ち、十分な利益を回収してから、引き伸ばしまくった裁判を和解に持ち込んだ。
引き伸ばされている間も、企業は毒を空や河に垂れ流し、被害住民が苦しみ抜いて死んでいくのを知りながら、数十年も賠償責任と利益が見合うまで放置したのだ。
積み重なった屍に背を向けて、『さぁ、これからはクリーンな日本になりますよ』、と言える傲岸無知な政府と企業だということを忘れてはいけない。


今回の発端は天災だが、未だに何ら進展しない事後処理の鈍重さに被災地は泣き、国土は刻々と放射能汚染の範囲を広げている。
海外の学者は、日本のこれからを『日常的な放射能汚染地域における健康被害の実例』として、貴重なデータになると確信し、注目している。
チェルノブイリの時は、政府のカーテンが厚すぎて早期の調査が出来なかったが、今度の実例は、政府自体が紙一枚の厚さもない無防備で無責任な国だからだ。
海外の研究者を冷淡だ、と責める資格は、私も含めて日本人にはない。
何故ならば、そんな政府を容認したのも、東電を監視・糾弾できなかったのも、村社会の国民性である日本国だからだ。


昔、日本の借金は良い借金だ、と外国に言われていた。
借りた分は、利息を付けて返済するし、他国の国債も売らず、経済大国としての基盤が確立できていたからだ。
だが、これからの日本は、只でさえ少子化が進み、内需が破綻していくというのに、今回の件で日本の輸出品は買って貰えない。
トドメにTPPへの参加条件が徐々に悪化し、早期に決断を下さなければステイツにも見放される。
参加しても、日本企業や資産家が海外に逃げるだけで、益々経済は悪化する。
海外の経済アナリストの評価では、2030年の日本は財政が破綻し、人口も9,000万人を割る上に高齢者が最大比率になり、国民総生産が先進国の基準に満たないアジアの小国に成り果てるという予測を発表した。
能力のある者や大企業が、活躍の場として英語圏である世界に出て行くのは、自然な行動であり、結果として日本が落ちぶれても、彼らの責任ではない。


日本の受難は、まだまだ多種多様で長期に渡って続く。
太平楽に構えていた人々が、現実に直面して泣き叫んでも、ただ見苦しいだけで後の祭りとしか言えない。
だから、私は、もう言葉遊びのような陰謀論や日本政府の企みなど、討論する価値も無いと諦めてしまった。
全ては信用に足る情報とデータから予測されるべきであり、そこにはオカルトも陰謀も何ら関わり合いを持たない。
あえて言えば、そんな議論が出来る内が『花』だった、と気づく日が来ると言う事だ。


産まれた国を救いたい、という気持ちは、本当は誰でも持っているはずだ。
そう思いながら、消えていった国の何と多いことか。
日本の曇天を払い、本当に進むべき道を模索する時間は、もう余り残されてはいない。