悪循環

今朝も、2回の中途覚醒をしたわけだが、その2回とも悪夢で、もうどうしようもなく気分が下がった。
私は、総天然色ドルビーサウンドのような夢を観る。
そして、起きても内容がじっとりと残るタイプだ。
中々、気分が回復しないまま、午後に仮眠をしたら、これも悪夢で、ソファーから飛び起きた。

内容を書くと、違う病気か、予言めいた話になるので割愛するが、自分がというより、見た光景が恐ろしかった。

現実に、あんな世界を見るぐらいなら、早く死んでおいた方がマシな気がする・・・。


映画では、どれだけショッキングなゴアシーンでも、この監督は病気だ、と思える内容でも、どうということもない。
未だに、私の想像を超えた恐怖や嫌悪感を与えてくれた作品はないし、トラウマになるシーンもない。
胸くそが悪くなる作品は、幾つかあったが、脚本がダメなので、全くリアリティを感じない。


実際に起こった犯罪に関する記録や研究書を読むと、人間の二面性や汚い部分を知ることが出来るが、私は全ての人類がきっかけさえあれば変貌すると思っているので、犯罪に至る経緯や動機の部分に特に注目する。
一線を超える、という瞬間に、一体何が後押ししたかを知りたいのだ。
逆に言えば、その引き金さえ止めることが出来れば、少なくとも自分が狙われる確率は下がる。

無差別に社会へ攻撃を試みる犯罪に、大量殺人がある。
多くは、銃のように一人で大勢を圧することが可能な凶器が選ばれるが、素人に銃は扱えないし、日本では入手困難だ。

1951年、オルガ・ヘプナルヴァ(女性)、1980年、プリシラ・フォード(女性)は、どちらも車を使い歩行者を轢殺した。
前者は裕福な家庭育ち、後者は元教職、と犯罪に縁が無さそうな経歴だが、どちらも社会に裁きを与える、という名目で、オルガは8人、プリシラは7人を殺害し、重軽傷者は数十人にのぼった。
非力で銃も扱えない彼女たちは、最も効果的な方法として、頑丈な車を使うことを思いついたのだった。

ステイツでは、約十年に一度ぐらいの頻度で、銃器による大量殺人事件も発生する。
ふと、思ったのだが、本当は多くの人間が同じことを考えていたが、実行に移した馬鹿がいたので、他は思いとどまったのではないか?
人間が想像する出来事は、確率の差こそあれ、必ず実際に起こる。
たまたま、実行したのが彼らであったが、本当は別の犯罪者予備軍が狙っていたかもしれない、と。
そして、また何年か平和が年月が過ぎると、そろそろかな?とばかりに実行に移す馬鹿が現れる。


台風が来ると、必ず用水路で流されたり、屋根から落ちたり、船のもやいを確認しに行って高波に呑まれる人がいる。
前例も豊富で、危ないと分かっていながら、1億2千万人の内の数名が、毎年のように命を落とす。
これも、ある意味では起こるべくして起こっているのかもしれない。
このニュースを聞けば、同じ年に同じ目に遭わないように気をつけるだろう。
翌年は、忘れているようだが。


多くの人間が想像できる範囲の事柄は、常に起こりうる可能性を孕んでいる。
飛行機は落ちる、船は沈む、車は事故る、原発も壊れる、通り魔が出る・・・、平和で安全な社会など存在しない。
防止策や危機管理は出来ても、発生を止めることは不可能だ。
誰かが不幸を思えば、誰かが災難に遭い、死にたいと願えば、自殺者が増える、同じ人間社会で考えることは余り大差はない。
要は、実行に移す人間が、必ず存在する限り、実行しなかった人間は、次の実行者になるうるという連鎖が存在する。
こう考えると、社会生活というのは、大なり小なり同じ考えを持った集団の塊で、運が悪いというよりは、事故や犯罪も、必然としてバランスが取られているのかもしれない。


年間の自殺者が3万人を超え続ける我が国は、社会の中で死を願う人間もそれだけ多い、ということだ。
実行した人、したい人、楽にキレイな方法で死にたい人、ふらりと死ぬ人、もし安楽死が権利として認められ、そういう施設が某国のように設置されたら、どのぐらい人口が減るのか予想できないほどだ。

10年以上も3万人越えが続いている死の連鎖は、社会の何が原因なのか、未だに分からないまま、H22年も30,651人(人口10万人辺り2.5人)の命が失われた。
健康上の問題が、相変わらず半数を占めているが、メンタル疾病も含まれるので、不治の病というよりは、心が折れて命を絶つ比率も高いことを示している。

この国は、毎年のように大災害並みの自殺者を出しながら、何処へ向かおうとしているのか?

私の悪夢が終わらないように、大勢の人も辛い毎日を耐えている。
死が救済、とは切なすぎる社会である。