小銭

相変わらず、不安定な睡眠が続いている。
軽い運動や生活習慣の修正で、多少は楽になってきた感じはするが、まだまだ改善には至っていない。

雑記を振り返っても、最近は不安定さが顕著だ。
あえて内容の変更は行わないが、乱脈・誤字・脱字は修正した。
恥ずかしくても、こういう記録は、その時の精神状態も現しているので、後のために残しておく。

今日は、久しぶりに春らしい好天で、家事を片付けることが出来た。
気温も初夏には及ばないが、軽く汗ばむ程度には暖かい。
雑事が済んだので、レモネードを作って飲んでいる。

レモネードと言えば、ステイツの子供のアルバイトの定番だ。
家や店の前や学校などで、1$前後でレモネードスタンドを出して、通行人に売っている。
私も、ガソリンスタンドで飲んだ事があるが、暑い時に一息で飲み干せる優しい味わいが最高だった。
募金活動で出している場合も多いので、その時は多めに小銭を入れてあげると、おかわりを笑顔で差し出される。
何とも、ほのぼのとした空気に、心が和んだのを覚えている。

あちらでは、子供のアルバイトを自立の兆しとして、親や社会が奨励する傾向にある。
レモネード売りは、日本で言えば小学生のアルバイトだ。
新聞配達や農家の手伝い、ベビーシッターにウエイトレス、と地域や年齢によって多種多様なバイトがある。
店によっては、店員に給与は無く、客のチップだけを収入にする雇用形態もある。
店先やメニューに書いてあるので、飲食代の1割程度を渡すのが普通だが、中にはローラーガールやサービスの良い店員もいるので、気に入ったら多めにおひねりを投げることだ。

日本では、旅館に泊まるとき、仲居さんに心付けを渡す習慣があるが、自分の部屋の担当かどうかを聞いてから渡すようにしないと無駄になる。
まぁ、こういう風習も寂れてきているようで、ちゃんとした旅館でなければ、心付けの受け渡しの真意を汲み取れないのが実情なのだが・・・。

タクシーでお釣りをチップにする習慣も、今ではすっかり消えている。
愛想の悪い運転手にやる義理は無いが、観光地等でアドバイスをしてくれる人には、渡すようにしてきた。
自宅にタクシーを呼ぶときに、運転手を指名できる時は、私は同じ人を呼んでいた。
空港や港までの足なので、それなりに長距離だし、旅の前に気分の悪い箱助に当らないためだ。
これは、差別ではなく、区別だと思っている。

宅配便を代引で受け取る用に、小銭を大きめのワイングラスに貯めておくのが習慣になっている。
最近は、配達側もお釣りを用意しているが、できるだけスムーズに受け取りをするためには、多少の気遣いも必要だからだ。

消費税のせいで、一円玉の重要性が増しているので、募金箱の類に入れる時は、100円玉一枚に決めている。
ちなみにアグネス・チャンが看板娘をしている日本ユニセフは、国連のユニセフとは別組織であり、活動内容も不透明で気に入らないので、私は募金しない。
恥ずかしながら、芸能人で初恋の相手は、若かりし頃のアグネス・チャンだったりする。
でも、募金しない。


一口に小銭と言っても、使い方次第で、人間関係を潤滑にしたり、気持ちよくサービスを受けたり、要目的募金では集まれば大きな支援にもなる。
私は、善意だけで救えるモノは何もないと思っているので、頭数だけのボランティア活動を評価しない主義だが、募金に関しては正しく使われる確信が持てれば、小銭をはたく。
現金があってこその活動であり、プロに仕事を依頼することもできる、と考えるからだ。


昔から、無償の善意と聞くとむず痒くなる性質で、やらない善より、やる偽善という言葉の方が、しっくりくる。
自分のため、自分が出来ない事のため、僅かな小銭を投げる行為は、偽善と呼ばれた方が相応しい。
感謝されるほどの金額でも無いのに、礼を言われるのは、ちょっと恥ずかしいではないか。


レモネードで募金を集めていた、あの夏の少女の笑顔だけで、私は十分に満足できたのだから。