朱を赤で隠すような

今朝は、7時に起床、中途覚醒1回、気分は普通以下だが、低いところで安定している感じ。
特に食欲は感じないが、集中力が減退している。

昨夜から服用を始めた『ジプレキサ(ザイディス)』だが、注意書きに寄ると、袋をめくって舌にのせると、シュッとラムネのように溶けてしまう、とあった。
そのため、普通の錠剤のように、一旦手にのせることが出来ない。
僅かな水分でも、簡単に溶けてしまうからだ。
実際、めくった状態で舌に落とすと、一瞬で溶けた。
色んな服用方法の薬があるものだ。

最近の変調で、私の症状に新たな障害が加わった。
パーソナリティ障害(昔は、人格障害)というものだ。
激しい躁状態にならず、自己否定を繰り返す鬱病で、難治性鬱病とも言われるそうだ。
悪く言えば社会に適応できない、もしくは厭世観が強く、その反面、論理的で几帳面な行動を好み、社会と相容れない価値観を強く持つ、とかなんとか。
昔なら、奇人の類で済みそうな症状だが、今は病名を付けてくれる。
他にも、電話で説明を受けたが、結論として間違いないようだ。


確かに自分に対してだけは強く否定できるし、社会がどうであれ、間違った価値観や情報は認めない性分なので、確かに面倒くさい生き方をしてきた気はする。
自分の都合の良い方向に情報を捻じ曲げたり、誰かを説得するのに相手の意見を聞かないわけではないが、自分が信頼できるデータだと確信が持てれば、他の情報と照らし合わせて、最もシンプルな答えを出す習慣が身に付いている。
自分自身に対して否定的なのに、自分が出した結論は曲げないのだから、心に軋轢が生まれないわけが無い。

観察者としての自分が、人間臭い部分や感情の喜びを常に否定的に判断するので、最後には全てが無駄に思えてくる。
こんな人間が、曲がりなりにも、社会を走り回り、人と物を時に国を越えて繋いでいたのだから、精神的な限界が早まったのも仕方が無いのだろう。

むしろ、こうして隠居と称し、社会と関わりが薄い生活を維持出来るだけの環境を一から作り上げたのが、奇跡に近い。
生き甲斐と呼べるものは持ち合わせていないが、差し当たって生活に困ることはないし、好きなように部屋をデザインして、趣味の料理を工夫し、インターネットと昔の人脈を活用して、精度の高い情報を収集・分析する楽しみはある。
ただ、どんな情報も自分が分析したいだけで、誰かのためとか、社会の暗部を弾劾するとかいう使命感も熱意も薄い。
反吐が出そうな真実を導き出しても、自分では全てを吐露しないで、必要としている熱のある人物に託すのみだ。


こんな生活の中で、時折訪れる静かで平穏な時間に、好きな音楽や飲み物と共に、果てのない空想に浸るのが、知能のある人間に生まれて良かった、と思える数少ない利点だ。

社会的な勤勉さは、もう使い果たした。
今ある環境が私が得られた社会活動の全てで、病み疲れた頭も自分の生き方の結果なのだから、受け入れるしかない。
自殺しない代わりに、生き続けるには、これが精一杯の方法だ。

孤独を嘆くよりも、自分を観察しながら、どう転ぶかを眺めて生きていくとしよう