お客が来た日

今日は、市役所の担当と、訪問看護員が訪れる予定だ。
人を家に招き入れるというだけで、心が揺れるのは、鬱病持ちには仕方が無いことだ。

約束の時間まで、まだ間があるので、掃除をしたり、座布団の角度を思案したりしながら、お茶は飲むだろうか?とか、説明に必要な物は揃っているか?等と落ち着かない時間を過ごす。

そして、約束の時間よりやや遅れて、市役所の今年度の担当と初顔合わせとなった。
何が困るかと言うと、担当が変わるたびに欝病を発症した経緯を説明すること。
自分の記憶が生々しく蘇るので、結構な苦痛を味わう。
次に、通帳で生活の内容を説明し、今の体調を理解させるために処方箋を見せて、しばし会話を続ける。

昨年はお調子者の爺さんで、笑顔の裏に嘲笑を感じるタイプだったが、今年は真面目で優しいタイプの若者だった。
ただ、困ったことに、明らかに労りを込めた優しさを出してくるので、逆に自分が惨めに感じられて、気分が落ちるのを感じた。

しばらくして、訪問看護センターの女性の訪問を受ける。
また、一通り説明して、自立支援法による訪問看護の必要があるのかを確認し、必要な時は助けを得られる書類を交わして、談笑に移った。
今は気分が安定しているが、外出恐怖症と難治性鬱病の診断を受けているので、いざという時は必要になる。
差し当たって、郵送で精神障ガイ者手帳の更新が終わっているので、市役所に受け取りに行く際の送迎を依頼した。

市役所の担当は麦茶に手を付けなかったが、訪問看護員は最後に飲んでくれたので、少し気が晴れた。
外回りの仕事に飲み物を勧めるのは、トイレの関係で有難迷惑になるので、口を湿らす程度の量を出したのだが、それに気づいて口にしてくれたことに、気持ちの触れ合いを感じて、良い人だと思った。


こうして午後に2人の訪問を受け、何か粗相は無かっただろうか、と気を揉むのが、私という人間の困った所だ、
完璧主義ではないが、やれることは全てやるタイプなので、結果を気にしてしまうのだ。

どっぷりと疲れたので、食事はパスタで軽く済ませ、ネットをチェックしている間に眠り込んでしまったらしい。
気がつくと、0時になっていたので、歯磨きと就寝前の薬を飲み、すぐに床に就いた・・・。

そんなわけで、この雑記は19日に書いているのだが、内容は昨日分なので、日付を変更することにした。


あれだけ、色んな人や人種の違う人とも接してきたのに、この程度の対人接触で、疲労する体になってしまった。
厭世観と共に、どんどん人付き合いが苦手になっている自分を見つめると、少しづつでいいから、他人を受け入れる度量を鍛える必要があるな、と苦笑してしまう。

このブログも、少しは外の世界との接触という意味で、役に立ってくれるので、引き続き雑文を書いて行こうと思う。