無くて七癖というけれど

今週のお題「私のクセ」
私は、自分の目立ったクセは出さない習慣が身に付いてる。

バイト時代にしろ、バイヤー時代にしろ、とにかく初対面の相手が多いので、余り野放図に自分を出さないようにしていたからだ。
自然体で他人と接している演技をして、方言のクセも意識して抑えて標準語を喋る。


ただ、クセというものは、その人を知る上で重要な要素であり、個性ともいえる部分だ。
あの人は○○だな、という目立つクセは、良くも悪くも、その人を印象付けするのに役立つ。

若い頃に、相手の名前を覚えきれないなら、言葉に出来ないぐらい酷いあだ名を付けて、自分の心だけで呼ぶといい、と教わったことがある。
私を何と呼んでいるのか聞く勇気は無かったが、なるほど確かにあだ名=本名が浮かび、仕事の上で、かなり便利な習慣になった。
私は、初対面で名刺を交わすと、後で裏にあだ名を書いていた。
絶対に他人に見せてはいけないが、かなり特徴的な部分を書くので、本人のイメージがぶれない。
○○社の○○さんではなく、○○な○○で●●!と勝手に決めるので、人間性は別にして、個性的には覚え易い。


私の大事だった女(ひと)から、二人で談笑している時に、いきなり眉間を指で抑えられたことがある。
「辛くもないときに、ここ(眉間)にシワなんて・・・」
その時の彼女の笑みは、十数年を経た今でも想い出せる。
「君のクセは、笑顔だよ。面白くもないのに笑えるなんて」
と、やり返したのだが、内心はドキドキだった。

彼女は、私の心に直接触ってきたのだな、と感じたからだ。

自分の事は大概のことは分かっているから、改めて他人に言われても『知ってるさ』と流していた。
だが、彼女は私を観察して、意識していなかった部分を指摘してくれた。
常に他人に対して構えるクセが、眉間のシワに出ていることを、彼女は教えてくれたのだ。
今も、記憶の中で特別な位置に彼女がいるのは、1995年の大震災で故人になったからだけではない・・・。

或いは、彼女となら、違った人生を送れたかもしれないが、今はもう私のクセを指摘してくれる人もいない。


タバコの吸殻を井形に並べながら、刻まれた眉間のシワを指で抑えて、「気楽にしなさい」と呟いてみた。

未だに自分のクセも治せないのに、君のクセを真似るなんて、きっと私を笑っているだろう。