気持ちが悪い

人使いが荒い、人使いが上手い、という話を聞くと、奉公人根性のドラマを思い出す。
『あかんたれ』や『おしん』のような、理不尽な雇い主や先達に虐められながら、挫けずに働く姿を美談のように感じるのは、恐らく日本人の特徴だろう。

常に縦割りの社会に属しているために、気がつくと自分の立ち位置ばかりを気にしている。
上役と部下に挟まれて、窮屈な毎日を送る人などは、仮面の付け替えに忙しいことと思われる。

何かに属していないと不安で、周囲が多数決的に嫌うものに同調し、長いものに巻かれる生き方を良し、とする。
これは、村社会である日本の気持ちが悪い一面であり、少数派や外人から見ると、どうして多くの人間が、こんな生き方を選択しているのか、意味がわからない。

当然だが、そんな土壌から生まれた映画が面白いはずもなく、アジアの中でも、邦画の評価は落ちるばかりだ。
邦画の構成は、まず有名俳優ありきで、下手くそな演技を恥ずかし気もなく披露し、マスコミや評論家も俳優の話題だけに終始している。
日本では有名でも、海外では無名同然の役者が出る映画など、観て喜ぶのは村の人気者に歓声を送る人間だけである。

私も日本人だが、上記のような風潮は苦手なので、出来るだけ関わりたくないと思っている。
原発事故の手際の悪さを指摘すると、やれ在日だ、左翼だ、非国民だ、と騒ぎ立てられると聞いた時は、開いた口が塞がらなかった。
本当に被災者や日本の事を心配するなら、苦言を呈するのは当然のことだし、そのために知る努力をするべきだろう。

今回に限ったことではないが、長い不景気の中で、立て続けに大天災に見舞われて、社会の悪い面ばかりが強調されるようになった気がする。
官民の今の状況を一言で表すと『卑屈』な言動が、飛び交う社会になっている。

確かに諸外国から見放されつつあるのは事実だし、事実無根の罵倒や嫌がらせを海外で受けている日本人も多い。
だからと言って、島国の中で結託して、より弱い者や外国人を侮蔑して良い訳がない。
物事の善し悪しは、社会の風潮が決めるのではなく、直面した一人一人が、正しい価値観で判断するのが健全ではないか。
皆が言っているから、と尻馬に乗って無責任な暴言をネットやTVで撒き散らすのは、人間として余りにも卑屈だ。

独立した個としてスタンドアロン状態になっても、雑音や間違った風潮に流されるよりは、遥かにましだ。
私は、社会を変える努力を諦めた人間ではあるが、自分の判断に必要なデータを集め、知らないことは学びながら、大きな国難が続く中で、少しでも真実を得て、日本がこれからどうなるのかを見届ける気でいる。

私が死ぬまでに、この国の暗雲が晴れることを期待して、気持ちが悪い社会から、道徳のある社会へと変遷すると、今は祈るしかない。