拳の芸術

日本では、人気が今ひとつなボクシング。
昔は、ゴールデンタイムでも放送していたが、英雄不在の昨今では視聴率の関係か、滅多に観れなくなった。

ウエイトが軽い階級に選手が集中しているのも、TV向けではない理由かもしれない。
ステイツでは、バスケットボール、アイスホッケー、メジャーリーグ、アメフトと並んで人気番組だが、放送されるのは主にヘビー級だからだ。
研鑽したテクニックと生来の才能で、一発でもキレイに入れば一瞬で逆転劇も起こりうるスリリングさが魅力でもある。

目を疑うようなカウンターのテクニシャンもいれば、ひたすらガードを固めて接近し一発を狙うタイプ、全ての要素が高レベルで昇華した理想的な英雄もいる。
ボクシング人口の裾の広さもあって、新星のように現れる選手の御蔭で停滞せずに、未だ人気は衰えを見せない。


拳だけで戦う闘技は他にもあるが、科学的、野性的、論理的、とボクサーのタイプは、コーチ次第で変わってくる。
いわば、セコンドが戦略を、ボクサーが戦術を発揮すれば、勝利への道は開けてくる。
よく孤独なスポーツと言われるが、ボクサーは決して一人ではなく、多くの人に支えられてリングに立つのだ。

夢と名誉とビッグマネー、ハングリー精神を持ち、戦うことで栄冠を掴みたい、と貧民層からの飛躍を目指して男たちはジムの門を叩く。
実際、生い立ちや私生活では、ドン底としか言いようがない経歴を持ちながら、チャンピオンになった者も少なくない。
飢えていなければ、欲しないし、戦う理由も希薄になる。
やや差別的な言い方になってしまうが、黒人がヘビー級を占領しているのは、独特の格闘センス以外に、虐げられた貧しい境遇から、血の小便を流しながら練習し、ひたむきに貪欲さを失わない精神力が大きく影響している。

こうなると、日本ボクシングの衰退の影には、豊かである故のハングリー精神の欠如があるのかもしれない。
もちろん、日本にもボクシングでしか生活や未来を得られない境遇の選手もいるだろうが、テクニック重視のマニュアル型が多いせいか、派手さや個性のある選手は見かけない。

昔は、石松や具志堅のように、容貌も強さもファイティングスタイルも、個性的で破天荒な選手はいた。
マニュアル型を退けるのは、得てしてこういう個性的なボクサーなのだが、すっかり姿を消してしまった。

スポーツなのだから、ストイックや謙虚なのは結構だが、下手をすれば廃人か、最悪の場合死に至るために、危険を冒すより、ガードやステップを叩き込んで、無事にリングを降りることを前提にしている気がする。
これでは、興行を開いても、TV番組までは及ばない。

もちろん、死ぬまで戦え、とは誰も言う権利はないが、ボクサーである以上、ギリギリの死生観を持っている方が、最後にはメンタル面で勝利する確率は高い。

精神的に未熟な上に、一般人としての常識もなく、ヤンチャとハングリーの区別も着いていないような三下が話題になった所で、実力が追いつかなければ笑い者である。


昔は、よくタダチケを貰って、公立体育館に応援に行ったものだが、新人戦辺りが必死さが伝わってくるので、未熟ながら迫力は十分にあって面白かった。
全員がチャンピオンになれるわけではないので、中には長くボクシングで食うために、頭を壊さないように立ち回る選手もいるが、これはこれで職業としては有りだろう。
シナリオがあるプロレスと違って、思わぬ危険がつきまとうボクシングでは、長く選手生活を続けるというのも十分に凄いことには違いないからだ。


暴力や戦争を否定しながら、ボクサーや兵器に惹かれるのは矛盾かもしれないが、研鑚と技術の成果を見るのは、やはり男としては胸に迫るものがある。

日本でやらないので、インターネットTVで海外の試合を眺めるしかないが、心身が復調したら、またリングサイドで熱い戦いを見たいと思う。