外出恐怖症vsタバコ切れ

通院日まで保つはずだったタバコの買い置きが、この所の症状の変化で本数オーバーして、ついに切れてしまった。

耐え切るべきか、買いに行くか・・・。
一番近い自販機までは約8分、往復でも20分と掛からない。
しかし、人目につくとなると、ヒゲも剃りたいし、着替える手間もある。
遠くて重い玄関扉を開けるまでに、心が折れそうだ。
2時間ほど逡巡して、ニコチン中毒が勝利した。

とりあえず見繕いをして、ぼっちらぼっちらと自販機へと歩く。
遠い、気分的に酷くキツイ。
気を紛らわすために、側道の花壇を見ながら歩いていると、妙に背丈の高いタンポポが群生している。
タンポポって、もっと短い気がする』とか思いながら、ようやくタバコを購入し、元の道を歩いて戻りながら、やっぱりタンポポって小さいよな、と。
ふと、チェルノブイリ跡の巨大なタンポポを思い出したが、この程度の変化なら自然に起こるのかもしれない。
何でもかんでも気にしていては、正しく物事が捉えられない。

自宅に帰って、一息吐いて、摘んできたタンポポを、普段は造花を入れているクリスタルグラスに活けてみた。
少し水を足しながら、タンポポの香りを楽しみ、雑草扱いだから持って帰っても問題無いよね、と自分の罪悪感を宥める。

それにしても、茎の長さだけで30cm以上あるのだが、花そのものは小さいだけに、酷くバランスが悪い気がする。
まぁ、久しぶりに我が家に生きた物が来たので、何となく不安よりも癒される感覚の方が勝っている。


それにしても、本気で禁煙しないと、ニコチンの方が危険な気がする。
父も、確か肺がんを発症して、あちこちに転移した挙句に死んだはずだ。
聞いた話だと、病院の受付に名前を記入して意識を失い、すでに手の施しようがない状態で、2週間ほどで死亡したという。
離婚していたので、そんな事とは知らずに見舞いにも行っていないが、祖父と同じで50そこそこで果てたことになる。
どうも、父方の男子は短命な星の元に生まれているようで、亡父の兄も弟も、死因は違っても、皆50歳前後で死んでいる。
私も、父方の血が濃いから、同じような最期を迎えるのだろう。

愚かの極みというべき習慣だが、若い頃からタバコは私の心に根付いてしまっているので、酒のように簡単には切れない。
本数を減らせても、完全に断つには、かなりの決心と忍耐が必要だし、今のところ、そこまでの覚悟が出来ない。

立ち昇る紫煙が、風に揺らいで広がって消える。
ポンポンと吐き出した輪っかも、崩れて消える。
私も、出来ることなら、煙のように消えてしまいたい、とボンヤリ思った。