平和な国に

日本の戦場カメラマンが、政府側とみられる兵士に射殺された。
報道でも、最後の映像と銘打って、何度も放送されたので、ご覧になった方も多いだろう。

実は、海外のニュースでは、布に包まれ目を見開いたままの彼女の遺体も報道されている。
内容は、国連が撤退した反動で、激戦化にあった地域に入り込んだために、政府軍の民兵に射殺された女性カメラマンというものだ。
同行していたカメラマンの映像かは不明だが、銃弾に倒れた彼女の遺体が車に運び込まれ、その横で反政府軍の兵士たちが死を悼みながら、政府軍打倒を叫んでいた。
見ようによっては、カメラマンの死を利用しているようにも見れるので、日本では報道されることはないだろう。

戦時下では、日常的に死が溢れている。
それが、たまたま日本から来た女性カメラマンだったというだけのことで、彼らの戦争はまだ終わらない。

我々は、彼女が戦場で撮った弱い人々の映像に心を傷め、その死に僅かな日数、お悔やみを口にする。
戦場カメラマンとして、戦場で最期を迎えたのは、信念を貫いたということで、確かに素晴らしいことかもしれない。

日本はともかく、戦争が続いている国の多くは、いつ終わるとも知れない殺し合いの中で、今を生き抜くために生きている。
どうすれば戦争が終わるのかさえ、誰にも分からない。
ただ、相手に向かって引き金を引き、爆弾を落とし、目の前の敵を殺すことだけに奔走している。
後方で戦争を支援し、煽り立てている存在が、本当に倒すべき敵なのかもしれない。

彼女は、武器の代わりにカメラを持って、虐げられている人や戦火に巻き込まれた女性や子供を撮ることで戦っていた。
皮肉なことに、彼女が一番伝えたかったことは、自らの死で注目されることになった。

これで、何かが変わるとは思えないが、戦場に散ったカメラマンに、しばし黙祷を捧げたい。