外出恐怖症の暮らし方

今更だが、私は外出恐怖症である。
今風に言えば【引き篭り】とも言えるが、経済的には自立しているので、いわゆる寄生型とは違う。

何故、外出が不安なのか、どうして他人が怖いのか、というと割と複雑になるので、うまく説明できないし、長い話になる。

簡単に言うと、外出が不安なのは、私の事情というよりも、他人がどう感じるかを先読みしてしまうので、相手を不快にさせたくない、という心理が先行する。
もちろん、どう見られているかも気になるが、私の語り口調は流暢なので、警戒されることは無い反面、時に鋭い語句が混じるので、安心して聞いていた相手が驚き、油断していただけに不快な気分も増している、と感じる。

成人してからの人生の半分はステイツで過ごしたので、日本語を喋っていても、思考がストレートすぎ、それが相手に突き刺さることがある。
私は、シンプルに事を進めるタイプだし、方法も確実な方が勝ると思っている。
全てにおいて、この調子だったので、元嫁は自信を喪失し、一人で生きていける、というか、一人の方が楽なのだと周囲は納得する。

事実、個としての仕事はリスクもあるが、それよりもメリットを産み、波乱万丈ではあっても、全ての責任を取れることも逆に安心ではあった。
日本の平均寿命からみれば、まだ人生も半ば過ぎで、隠居部屋を構えて、低い水準の生活を維持しながら、一人で暮らしていけるのも、最も基本的な部分で孤独であることを望んでいるからだと思う。

食品は生協で事足りるし、雑貨や衣服も通販がある。
物作りやインテリアは、趣味の延長で楽しめる。
思考を巡らすこと、情報を収集・整理する情報源と手法。
足りないものは、人生を分かち合う存在。

こんな暮らしをしている以上、何処で途切れても同じような毎日だが、何のために生きているのか、というと、世間を眺めてあれこれ考えることで、擬似的に参加している気分になれるからかもしれない。

そんなわけで、今日も誰が読むのか分からない駄文をキーボードで叩き続けている。