いじめの構図

言うまでもなく、他人を脅かし、貶める行為は最低である。

大人の社会でも多々あることだが、自立している成人ならば、対処法も選択できるし、最悪の場合は裁判をするなり辞職すれば、問題は解決できる。

しかし、子供たちは学校という檻の中にベルトコンベヤーのように送り込まれ、クラスメートを選択する自由もなく、問題を解決しようにも、親や教師に相談も出来ない。
TVやネットで早熟した学校社会では、いじめのタイプも、より陰湿化し、声無き声を聞いてもらえずに、若い命を断ってしまう。

私は自殺を悪だとは断言しないが、これは大人の場合であって、子供がやることではないと思う。
子供や老人が自殺するというのは、社会環境では最悪の部類で、ここにも現在の日本の問題がある。

声をかける、気遣う、労わりあう、こんな人間的な交流が失われ、家族間であっても孤立し、殺伐としたネットに顔のない友人を求める社会が正常なわけはない。

自殺の心理で言えば、孤独・孤立こそ死に至る病であり、集団の無関心という圧力は、更に精神を圧迫する。
本来なら人生で大きく心を開放できる世代でありながら、石のように固まるほどの【いじめ】を受けて、助けを求めようにも何処にも光を感じないとなれば、相手を殺すか自分が死ぬかというレベルにまで追い込まれ、最終的に後者を選択してしまう。

如何に学校に救いがないかは、いじめ自殺した少年達が通っていた校長の顔や発言を見れば分かる。
【問題を問題と認めたくない】という事勿れ主義と隠蔽体質が服を着て喋っている。
その顔は、責任者のものとも思えないぐらいに醜く卑屈だ。
少年の死よりも、学校の体裁、何より自分の保身だけを考えている人間がトップにいる学校生活で、危機に陥った少年は何処へ助けを求めれば良いのか。

子供の変化を感じ取れなかった親は、これからの人生で、ずっと負い目を感じて生きるという重い罰がある。
だが、人非人の教師や校長は、苦い思いはするだろうが、時間が経てば風化していく程度の事件でしかない。

自殺した子は、誰に相談すればよかったのか、親か、学校か、警察か、友達か・・・。
一つでも光があれば、諦めずに済んだはずの命があった。


子供社会の闇を照らす活動や制度が望まれている。