ただ、生きている

生活困窮者のための簡易宿泊所は、公的なもので500ヶ所、民間の物も含めると1000を超える。
働けない、身内もいない、孤立し窮乏した人間の最後の行き場所だ。

云わば、税金で生きる立場で、社会的に見れば不要であり、厳しい国なら間違いなく死んでいる。
不思議なことに、彼らの多くは薬物や酒に依存しているのだが、こういう金も税金である。

では、彼らは死ぬべきなのか、と言えばハッキリ言い放てる人は少ない。
関わり合いになりたくないというのが正直な所で、国が本当に危機的財政にならない限り、生かしておいても、ということだろう。

この辺の感覚が、実に日本的で、良い悪いは別にして、寛容な点でもある。

反面教師として眺めるために、薬物依存やアル中に悩む人たちの前に並べられ、こんな人間になりたいですか?と晒される。
死刑があるから治安が引き締まる、という理屈と同じだ。

放っておけば、年間三万人超えの自殺者の列に加わるのは間違いないが、こんな生活をするくらいなら死ぬ、という人も多いだろう。

最底辺で足掻くよりも、プライドを持って死にたい、という人が年間3万人なら、どんな姿でも生きていたい、という人間(ホームレス)が2万人はいる。
近年、ホームレスの数は減りつつあるが、生活保護受給者の増加と関係があるので、実数は8万人は下らない。
中には、暴力団関係者に押し込められ、生活保護ビジネスという闇も広がっている。

人は弱いものだが、その弱い集団がさらに弱い集団を喰いものにする。
これでは、更生も社会復帰も難しいだろう。
自己責任の面も多いと思うが、社会が彼らのような層を消す日は来るのか。


隠居の身になるのも、それなりの苦労と努力が必要だったが、もし金や物品が無かったら、私は泣きながら働いていただろう。
節約すれば、どうにか死ぬまでは食べていけるという目算が立ったことが、人生にとって是か非かは分からない。

自由や孤独も、手に入れるには金がいる。