悪には悪の

昨日の事だが、尼崎事件の角田美代子容疑者が、拘留所で自殺した。
【全て私が悪い】
生まれついての悪党が、最期に望んだのは、処罰より自殺だった。

異常な犯罪や凶悪犯罪の場合、拘留者の自殺率は通常の十数倍になる、というのが犯罪学の見方だ。
銃器などによる大量殺人犯の多くは捕まる前に自殺するし、ほとんどは射殺される。
投獄後に自殺するのは、首吊りや飛び降りが多いが、死ぬと決めたら人間は缶ジュースのプルトップで手首を切ってでも死ぬ。
それを監視し、防ぐのは、かなり難しい。

首吊りと言っても、ドアノブ程度の落差を利用するものもあれば、頚骨が折れる高さから行うこともある。
後者の方が楽だという人もいるが、頚動脈を締め上げれば、人は簡単に死ぬのだ。

昔、後ろから腕で首を絞める遊びが流行ったのだが、失神者が続出し、もちろん禁止になった。
プロレスの影響だったが、今思えば確かに危険である。

紐状の物であれば、結び目を二つ作るだけで、自分でも死ねる。
今回の角田容疑者も似たような技術を用いたのではないだろうか。
何にしても、10分おきの監視をしたからといって、自殺を未然に防ぐのは難しかったと思う。

もしかしたら、自分が死ねば溺愛していたという息子を救えると考えた末かもしれない。
自分は、もちろん死ぬまで出られないか、死刑という可能性も高いので、真相究明を難しくして、他の容疑者を多少なりとも救いたかったという可能性が高い。
どうせ出られないなら、さっさと死んで、取り調べ中の息子の援護をしようと考えても不思議では無い。
全ての原因を死んだ人間に被せれば、最悪でも無期懲役で済むだろう。

悪に生まれ、鬼畜の生涯を歩みながら、贅沢な暮らしを維持してきた鬼女だけに、その最期に相応しい惨めな死に方だ。

もっと早く自殺していれば、被害者も少なくて済んだかもしれない。
やはり、この世には、生きていてはいけない人間というものが存在する。