人を見る

選挙が間近になって、名前の連呼期間に入ったので、只の騒音でしかない。

日本の選挙のやり方は、旧態依然として、相変わらず政治家と国民に距離を感じる。

ネットの活用で、党首との直接対談のような面白い試みもあったが、あくまで政党との対談であって、候補者を知るのは難しい。

今回は争点が多いので、それだけ政党も乱立しているわけだが、実際に私が投票する選挙区では、4人。
自民・維新・未来・共産と並んでいるが、政党=候補者で投票する気にはなれない。

そこで、広報以外にネットで候補者を検索すると、2人しか情報が引き出せない。
新人だから当然なのか、と思ったが、経歴から活動していた組織を調べると、徐々に顔が見えてきた。
結果は、誰も腹が座っているとは思えないレベルで、政治屋にすらなれそうもないキレイなだけの人生を送ったタイプだ。

私は、自分が持つ主義主張を人に押し付けるのは好まないが、逆に誰に言われても納得しなければ、頑として受け付けない。
科学と同じで、基本があり、経過があり、検証があり、結論へと移行するのは、人生も同じだからだ。

当然、その過程には失敗もあり、幸運もあり、無駄と思いながらも幾度となく理論を構築するための試行錯誤が無ければならない。
そういう人生のヒダのような部分を感じないのだ。

候補者の誰にも共感できないというのは、投票者として、これほど虚無感に陥いることはない。
【白紙投票】という考えが、頭をよぎったほどだ。

この地区の立候補者を誰も認めない、という決断もありだ。
或いは、政党に力を与えるために、あえて人を無視して所属組織に投じるという考えもある。


義理で、選挙応援に参加したことも数回あるので、裏側も良く知っているだけに、この国の選挙システムには疑問もある。

さて、ボンクラ4人から、どれが一番マシかを決める時間も、少なくなってきた。