故郷の今

私としては、半ば野生児として母方の実家で暮らしていた時期が、幼少時の想い出だ。
本当に山深い地で、ほとんど自給自足での生活だったが、好奇心の赴くままに山野を走り、川で古タイヤの浮き輪で泳いだことなど、自由奔放な良い経験をした。

小學校入学前に町に戻され、余りの天然ぶりに驚いた父方の祖父母によって、スパルタ教育を施されることになる。

幼少時の私は、両親よりも、双方の祖父母による影響が大きくて、色々と事情があったにせよ、両親との縁は細かった。

私は、厳格な父方より、奔放な母方の実家に行くのが楽しみだった。
電車で終点、バスで終点、そこから延々と徒歩という山奥ではあったが、不便だからこそ得られる工夫と野趣が好きだった。
まるで時間が止まったような動くものがない風景も、動植物を収穫して食を得るのも、どのぐらい昔からあるのか分からない物が詰まった納屋を探索するのも、全てが喜びであった。

年の暮れには、夜神楽舞があり、ほぼ丸一日この神事で賑わう。
祖父も舞手であり、祖母は炊き出し、私は人の中を走り回り、焚き火に浮かぶ面を不思議な気持ちで見つめたものだ。
裏方に回れば、忙しくも楽しげに食事の準備が続いていて、出番を終えた舞手が食をとり、焼酎を煽る。
祖父は、うわばみだったので、常に飲み続けていたが、きっちり出番はこなしていたので、何升空けても文句は言われない。

煮物、だご汁、とうきび饅頭、決して豪華ではないが、とれた食材を工夫して、生き続けてきた土地の味だった。


私の祖父方は後継もなく失われてしまったので、恋しくても戻ることは出来ない。
今頃は、草木に飲まれて、何処が家かも分からないだろう。
山とはそういう場所であり、自然に借りた場所を返すことで、静かに緑へと戻っていく。
自然と生き、実りに感謝しながら、そこに神への畏敬の念を持つ。
八百万の神が息づく里、そこが私の心のふるさとなのだ。