視野

若い頃に、半ばホームレスと化していた友人がいた。
良く言えば自由であり、悪く言えばだらしがない。
頭は良かったので、単に性格の問題なのだが、本人は至って気楽そうだった。

バイト時代に出会った時の最初の印象は最悪だった。
遅刻は当然、いきなり早退、無断欠勤の時は、私が代わりに呼び出されることも、しばしば。
労働契約というものを重く見ていた私は、彼の行動に眉を顰めていたのだが、バックルームで飯を食っている時に、少し話をしたことから、家に招いてみた。

例によって、約束の時間を大幅に過ぎてやってきた彼は、開口一番【土産】と言い放つとパンパンに膨らんだビニール袋を差し出した。
それは、発酵が進んだキムチであり、とてつもない臭いに、思わず窓を開けに走ったのだが、彼は鼻歌交じりに皿に移すと【美味いぞ】と笑った。

臭いが落ち着けば、確かに旨そうだったが、まだキムチに馴染みのなかった私は、かなり怖々と酒のアテにした。
彼は彼で、焼酎を飲んだ事がなかったので、水割りにしたのを見て、そんな飲み方は邪道だ、と私は言った。
当時は、まだ焼酎も今ほど定着しておらず、ましてや酎ハイやサワーもメジャーではなかった。
寒い日には、地元でも湯割りにすることはあっても、水で割るなど女々しい飲み方だと言いながら、湯呑で飲んだものだ。
彼は、常に笑っていたので、私の言動を全て受け流していた。

ひとしきり酔いも回ったところで、私は自分がバイトをしているのは、色んな商売の内情を知り、自分で品を動かすまでの勉強のためだ、と打ち明けた。
彼は、キョトンとした顔をして、【真面目なのだな】と大笑いした。
外に出れば、右も左も世界中が誰かの物で、それを交換しながら生きているのだから、全部が商品じゃないか、と笑う。
虚をつかれた私は、彼を気に入り始めていた。

そのうち、家賃を滞納して追い出された彼は、週に2日ほど私の家に寄って、風呂を使ったり、酒を飲んだりしていった。
住む家がないと不便ではないか、と聞くと、【履歴書の住所など調べもしないよ】と、気楽な返事。
本人がそう言うのだから、私もそれ以上は説教をする気もないので、病気だけはするなよ、と言った。
某芸大に通っていたようだが、1年で飽きたそうで、ほとんど休学状態だった。
冬場は部室で寝泊りしていたそうで、周りは迷惑だったと思うが、恐らく例の笑顔で乗り切ってしまっていたのだろう。

おかしな関係が1年ちょっと続き、ある日ポストに手紙が入っていた。
そこには、驚く程達筆な字で、【世話になった。インドに行く】というようなことが書いてあった。
不思議と疑問に感じなかったのは、彼には日本は固すぎる、と直感したからだろう。

規律や常識という枠に嵌らない人間と理念や手順に頑なまでに拘る人間。
どちらも、自由を愛しながら、方法は真逆だった。
彼にはインドが良く似合うし、私はステイツを第二の母国と感じている。

彼の実家は隣県だったので、一度だけ聞いていた連絡先に電話をしてみたことがある。
逆に彼の母親から消息を聞かれたのだが、話をしている内に父親は現役の校長であり、教師一族であると知り驚いた。
あの笑いは、確かな教育と知性に裏打ちされた顔だったのだな、と改めて想った。

その後、彼の実家から連絡が来たことは無いので、彼がどうなったのかを知ることはなかった。
今も、インドの地を歩いているのか、連れ戻されて日本にいるのか、それとも・・・。

彼の見ていた世界は、私が出会った人間の中でも群を抜いていたと思う。
社会の見方を教えられた気もするし、自分が生きる力を疑いもしない強さを感じた気もする。
だが、私は、私の方法で、今ここに生きている。
人との関係は一期一会でも、自分が生きてさえいれば、何かが残っている。

もう、酒は飲まないが、友の面影と語り合いたい日もある。