責任の所在

京都の亀岡市で起きた、無免許運転死傷事件の一審判決が出た。
懲役5〜8年の不定期刑が、少年に課せられる罰として、軽いか重いかは微妙なところだ。

3人が死亡し、7人が重軽傷を負った暴走事故の原因が、無免許と居眠り運転だというのだから救いがない。

遺族側からすれば、生ぬるいと感じているだろうし、更に5〜8年の求刑とあっては、怒りも収まらないだろう。

少年が更生するかは、加害者の立場であって、被害者からすれば知ったことではない。
失われた命に見合うだけの罰など存在しないが、それでも最高の10年にすべきだったと思う。

人生の10年を奪われれば、それなりに重く受け止めるだろうし、それで人生が狂ったと感じれば罰の意味もある。

ただ、模範囚であれば刑期の短縮も有り得る。

本件の裁判官は、恐らくは普通の人間の感性なようで、遺族側の怒りよりも、少年を保護観察から実刑にしたことで、バランスが取れたといった気分かもしれない。
判決全文を読み終えたが、正に躊躇したのだろう。

この少年に生きる価値があるか、は別にして、これだけの重大事件を起こしているわけだから、社会的制裁を受けるべきだ。
住所氏名の公表、遺族側への謝罪、民事訴訟による損害賠償、保護者にも責は及んで当然だ。

日本の法律は死に損だと聞くことが多いが、今回の事件ほど強く感じたことはない。

少年には、死ぬまで後悔して欲しいものだ。