働く期間は、自分で決める

昔、日本は終身雇用が売りであり、社員を家族のように扱うことで、思い切り仕事に集中できる環境が存在した。
社宅が並び、会社員の家族の交流として、様々な集まりやイベントが開かれていたものだ。

ところが、企業が終身雇用を止め、福利厚生を減らし、経営側と労働者側の関係がドライになり、ついにはリストラがコストカットの最善策のように使われ始めた。

明日、働く仕事がないかもしれない、という恐怖は、家庭持ちには堪らないプレッシャーだろう。
かくして、世はストレス時代へと突入したわけである。

民間がどうであれ、60歳まで働けば、国は年金を支給してくれるから、それまで頑張って、そこからは好きな趣味でも・・・、と算段していたら、支給開始年が徐々に延長されている。
高齢社会の必然というべきだが、平均寿命を考えると、65歳支給開始から79歳(男性)没年とすると、14年しか貰えない計算になり、心も体も衰えていくので、余生を楽しんで過ごせる年数は、実に短い。

そのせいか、やたらと健康志向の番組が増え、栄養補助食品が星の数ほど出回っている。
快楽を伴う行為には、必ずリスクが存在するということは、楽しいことを諦めて、ストイックに過ごすことが健康には一番良いとなってしまう。
何が面白くて生きているのか、と言う気もしてくるが、充実した人生と健康な人生は、必ずしも等価値ではないのだろう。

私は、いわゆる会社依存型の人生が送れるような性格ではないし、そう生きないために、若い頃から貪欲に生きる術を吸収してきた。
仕事も遊びも、一通りは楽しんできたし、家族も持って子供も出来たし、全て自己責任な人生をやってきた。

で、今の私は離婚して一人だし、社会的には無職であり、躁鬱病や糖尿病を発症しているので、もう何年も若隠居をしながら、淡々と闘病をしている。
僅かながらの資産らしきものを切り崩しての気楽な生活だが、やりたいことは若い頃から、ほいほいやってしまったので、今となっては特別欲しい物も、行きたい所も浮かばない。

40半ばにして枯れてしまったか、と思わないでもないが、独りの気楽さで、食や新しい趣味を楽しむ時間があるので、中々野心が起きてこない。
アベノミクスで資産価値が下がり続けているのは困るが、まだ慌てるような状況ではないので、もう少し世の中を眺めてから決めようと思っている。

まぁ、生き方は人それぞれなので、何が正解かは知らないが、民間企業を職に選んだ大多数の人は、今までの人生で、本当に自分のために使えた時間や金がどれぐらいだったか、を少し考えてみるのも良いのではないだろうか。
そして、年金暮らしが割に合っているのかも。
小賢しい程度の資金運用を学ぶ必要などないが、自分がしたいことを支えるだけの資産や収入が吊り合うかは重要だ。
特に、老後に欲望を爆発させようと思っている人は、健康状態や年金も含めて、冷静に計算してみるのも良い気がする。

誰だって人生は一度きり、しかも健康意識に係わらず、死ぬときは選べないのだから、過度な健康神話より、体を壊さない程度の遊びをお勧めする。

私は精神を病むぐらい働き、体を壊すほど遊んだので、禁酒・禁煙・食事制限という罰を受けながら、出来れば自分の意思で死に場所を選ぶつもりだ。