近況まとめ

随分と間の空いた更新だ、と我ながら少し呆れた。

簡単に振り返ると、春先からうつが悪化し、8月は一ヶ月丸々入院していた。

どうも、大きな感情の変化があったようで、入院中はグループが出来るぐらい面倒見の良いおっさんと化していた。
そのせいで、グループの仲間に退院で泣かれたのは初めてだし、バス停まで見送られたのも経験がない。

その分、自分の静養が疎かだった。

私は、病院という空間独特の空気を知っているし、そこで友情や恋愛が生まれやすいということも知っている。
なので、交際の申し入れは丁重にお断りし、退院後はあえてこちらからは連絡もしていない。
それでも、残る人は残るし、そういう人とは友人関係を継続しても良いと思っている。

おかしな話だが、リアル(現実生活)に戻れば、皆それぞれの生活があるし、入院中のように暇を持て余すこともなく、忙しい闘病生活が待っている。
その上で、入院中の友人関係を継続するというのは無理があると思うわけだ。


そういうわけで、残った人の話を聞いているうちに、ふとキリスト教に興味が湧いた。
別に勧誘されたわけでも、無宗教を改めようという訳でもないが、何となく惹きつけられる物を感じた。

私は、思春期の十代に、空想と妄想の根源として、あらゆる宗教の経典を求めた時期がある(今で言う中二病か)。
かなり読みまくったのだが、そのうちに中国史に興味が移ったので、深い所まで思索が回らなかった。

で、今回は真面目に学んでみるか、とキングオブベストセラーである聖書を注文することにした。
新共同訳であることは当然として、引照付きにするか悩んだ結果、*旧約続編付きの中判サイズを選んだ。

年齢相応に老眼の兆しが出てきたので、小型やミニ版では苦労しそうだったし、持ち運べる限界も考えて、これに決めた。

若い頃は2度ほど、通読したのだが、考えて読んだか、と言われると困ってしまう。
とかく、あの独特な言い回しのせいで、日本語として読むとイライラしてくるせいもあり、深い部分まで理解したとは言えないからだ。

これは訳が悪いというより、英語やラテン語の文法の欠陥であり、原書自体がそうなのだから、誰のせいでもない。

それでも、聖書の文章というのは、奇跡やイエス・キリストの描写を除けば、往々にして日常生活や人生に有意義であり、モラルある人間の理想像と言えなくもない。

そう言った部分を見直したくて、今回は手を出すことにした。

宗教は、日々の心の糧にならなければ、害悪でしかない、という考え方は健在なわけだ。

ついでに、教会の勉強会も覗きに行くつもりなので、ここら辺は、また後の話とする。


日本聖書協会発行。新共同訳、旧約続編付き、中判サイズ(18 x 12.4 x 2.5 cm)¥3,348-也。