体が軽い

どうやら、中途覚醒1回、7時起床でリズムが安定してきた。
このまま、躁状態が落ち着けば、理想的な状態になるのだが。

思い立ったら、すぐに動ける、というのは助かる。
今日も、居間の掃除、トイレ掃除、使うのはまだ先だが、扇風機の清掃が出来た。
献立予定表も作成できたし、これで冷蔵庫の賞味期限ミスも減るだろう。

外出は無理だが、もう少し調子が良くなれば、短い散歩ぐらいは可能になるかもしれない。
薬一種で、これだけ変化が起きると、改めて脳は薬の影響が強いのだな、と少し怖く感じるほどだ。


昔、知り合いが仕事のストレスから麻薬に手をだし、みるみる人格が変化したのを思い出した。
バイヤーの仕事は、実に色んな品を扱うので、中には危険なルートを発掘してしまう場合がある。
私も、ステイツでその手の誘いを受けたが、元々は薬嫌いなので、頑として断った。

だが、知り合いはS級の人工麻薬に溺れてしまい、徐々に仕事をしなくなり、一日中愛車のジャガーを磨くようになった。
家族に相談されて会いに行った時も、彼は隅々まで愛車を掃除していて、痩せこけた顔で、常に笑顔なのだが、私の話は耳に入っていなかったようだ。
尋常ではない様子なのだが、通報するのも気が引けるので、どうしたものかと思案している内に、離婚してしまい、誰も近づかなくなってから、しばらくして死んだ。
自殺方法は、排ガスを引き込んでの中毒死だったと聞いて、あのジャガーと彼の姿が明確に浮かんできて、実に後味が悪い思いをした。

人は簡単に壊れる。
他の知り合いも、朝に家族に笑顔で手を振って、家を出てから山中に行き、首を吊って死んだ。
社会に出てから、知り合いが4人自殺しているが、どれも金絡みばかりで、全員が家族持ちだった。
薬中は別にして、家族は自殺されるまで変化に気がつかず、後になって仕事先で詐欺をしていたとか、借金が重なっていた、と聞かされる。
生活レベルを下げるとか、家族に相談していれば、別に死ぬほどの事でもないと思うが、本人にしてみれば死に値する絶望だったのだろう。

行先に絶望しか感じなければ、人は死ぬ。
家族を守るための行為が、そのまま自分の命を縮める行為と同位で、一人で責任を抱え込んで倒れていく。

私も死に損ないなので、偉そうなことは言えないが、一人になっても別に不都合な事はない、と今は思える。
確かに誰かと人生を共にしない、というのは寂しいものだが、考えてみれば死ぬときは「まぁ、こんなものか」と自分の記憶だけを抱えて息を引き取るのだ。
それが、早いか遅いかだけの違いなら、生きながら死んでいると言われても、少しでも何かを得てから死を迎える方が、少しはましだ。

100年生きる人間がマレなのだから、只でさえ短い人生を無理に終わらせるというのは、早計な気がする。
刑務所に服役しようが、自己破産をしようが、孤独に生きる生活になっても、死に値する罪を犯す人間は滅多にいない。
実のところ、私も人生とかいうものを、そこまで達観できてはいないので、今できること、したいことを探しながら、常に手探りの毎日だ。
辛い、苦しい、寂しい、という感情を消すことは出来ないが、幸いなことに人間には自分に出来ることが必ずある。

それが、意味があろうと無かろうと、そんなことは別に重要ではない。
漠然とでも、何かをするために生きている、というだけで、何とか明日を迎えることができる。

若い子には夢も大望も描いて欲しいが、40歳を越えれば、自分なりの死に方が待っていると気付くはずだ。
後は、それを受け入れるか、もう一つ足掻いてやるか、と決めるのも、生きる理由になって良いのではないだろうか?