他人を注意する勇気

私は、他人に注意されるのを厭わないが、筋違いの文句には反論する。
実際、注意と文句の間には、似ているようで全く違う気持ちが込もっている。

公共のルールを守らずに注意を受けた、といえば反論の余地はないが、勘違いで注意されることも、ままある。

だいぶ前の話だが、都心の方では、下がゴミ箱、上が灰皿という物が設置されていたのだが、上の灰皿までゴミが一杯だったので、火を完全に消してから、灰皿に放ったところ、中年男性に「ゴミ箱にタバコの吸殻を捨ててはいかん」と注意された。
「いや、これ上は灰皿なんですよ」と答えても納得しなかったので、よく見たら中年男性は極端に背が低く、上の部分が灰皿になっていることに気がつかなかったようだ。
仕方がないので、あみ皿の部分を持ち上げて見せたところ、ようやく納得してくれて、「すまんかったね」と言われた。

私は、この男性が悪いとは思わない。
元々は、灰皿にゴミを捨てる輩が悪いのであって、パッと見で誤解を受けても仕方がない。
むしろ、私のようなタイプの男に注意をするという勇気の方を賞賛したいぐらいだ。
「どういたしまして:That's all right」とは、この場にピッタリの返事である。

世の中には、とにかく注意という文句をして、悦に入りたがる低級な人もいる。
この手の人種には、そこに至った想像力や相手の立場などを考える力はなく、ただ正義らしき使命感と自己満足のために舌を動かすのだ。
こういう相手を黙らせるには、手はひとつ。
笑みを浮かべて軽くうなづきながら、黙るまで聞いてやることだ。
元が低能なので、話がループしたり、同意を求めてきたりするが、吐き出し終わるまで待っていれば、大抵はどこかに行く。
彼らは反論が怖いので、自分の思うように話が出来ないと怖くなり、言うだけ言って逃げ出そうとするのだ。
負けるが勝ちではないが、自滅を誘うのも、慣れると良い対処法になる。

この世に、口喧嘩で負けてはならない職業は、暴力団と政治家ぐらいのもので、TVのコメンテーター風情は勝敗を別にして番組の道具でしかないので、たやすく持論を湾曲する。
水道橋博士とやらも、論客である以上、絶対に席を立ってはならない、ということも分からない芸人である。
公共の場で「降りる」と公言したのだから、ふらふらと言い訳をして番組に戻らないようにしてもらいたい。
能力はあるようだから、意地を通して番組の一本ぐらい捨てて見せても、仕事はあるのだろう。
まぁ、私は彼の論とやらを新しいとも良い着眼だとも、一度も思ったことはないので、消えても一向に構わないが。

注意と文句の違いは、人間性の違いでもあり、注意が出来ないレベルの人は、黙っているに限る。
文句口しか持てない人間の末路など、沈黙を是とする輩よりも、下なのだから。